座談会

兄弟抄(4月度座談会御書)の背景と講義(現代語訳)|転重軽受・師弟不二で広宣流布

2025年4月度の座談会拝読御書は「兄弟抄(読み:きょうだいしょう)」です。

 

転重軽受の法理から、宿命転換に挑む信心のあり方を学びます。また、師弟不二の精神こそ、広宣流布推進の原動力であることを確認します。

 

※ 本文の現在語訳他、なるべくわかりやすい講義の形にチャレンジしましたので、ご活用頂けると幸いです。

 

なお、兄弟抄の中で日蓮大聖人は、転重軽受の法理の他に、「三障四魔」・「心の師」・「一眼の亀の譬え」など、重要な内容に言及されています。

しかし、こちらは、今回の座談会拝読御書の範囲外なので、本講義の後に内容のご案内をしています。

兄弟抄(2025年4月度座談会御書)の背景と大意(現代語訳)

 

2025年4月度座談会拝読御書の「背景と大意」について簡潔に触れて参ります。

 

現在の東京都大田区に、鎌倉幕府の建築工事の一切を担う家柄の「池上家」があり、そこに、兄・宗仲と弟・宗長の仲の良い兄弟がおりました。そして二人は、日蓮大聖人の信心に励んでいたのです。

 

ところが父親は信心に大反対で、ついには、兄の宗仲が勘当されてしまいます。勘当とは、相続権・財産の一切が奪われるという事です。

 

宗仲は、大聖人の信心さえしていなければ・・と思ったかもしれません・・。
兄が勘当されれば、弟の宗長に相続権がもたらされます。
宗長は、大聖人の信心をやめてしまえば・・と思ったかもしれません。

 

兄弟抄は、そんな状態の池上兄弟とその妻たちに与えられたお手紙で、建治2年(1276年)4月、日蓮大聖人が55歳の時に身延で著された御書です。

大聖人は兄弟抄で、仏法の道理を通し、様々な信心の指導をされています。

 

さて、今回の拝読範囲は、どのようなご指導なのか。早速、拝読していきましょう。表題を申しますので、その後に続いて下さい。

 

▼本文の拝読と解説▼

御文
 各々随分に法華経を信ぜられつるゆえに、過去の重罪をせめいだし給いて候。たとえば、鉄をよくよくきたえばきずのあらわるるがごとし。石はやけばはいとなる。金はやけば真金となる。

 

通解(資料:読まない)
あなたたち(=池上兄弟)は、懸命に法華経を信じてきたので、過去世の重罪を責め出されているのです。例えば、鉄を十分に鍛え打てば内部の傷が表面に現れるのと同様である。石は焼けば灰となる。金は焼けば真金となる。

兄弟抄(2025年4月度座談会御書)講義(現代語訳)|転重軽受の法理と師弟不二と広宣流布

2025年4月度座談会拝読御書を御文に即して、講義及び解説をして参ります。

 

あなたたちの今の苦難は、懸命に法華経を信じて来たため、過去世の重罪が責め出されたものなのだと仰せです。そして次に、2つの例を示されています。

鉄は熱して鍛えていくと、内部の不純物がたたき出され、その作業の繰り返しで、一段と強靭になります。

石は焼くと灰になり、簡単にくずれてしまいますが、金は違います。焼くことで、くずれるどころか、さらに輝きを増して、真金(しんきん)となっていくのです。

 

兄弟の今の苦難を「熱して鍛える、焼く」事に例えられ、それがあってこそ、真価を発揮する本物になると仰せになっています。

 

大聖人の正しい信心によって、過去世の重罪が責め出される事を仏法の法理で「転重軽受」といいます。重い罪を転じて軽く受けると言う意味です。

 

 

今世の苦難は過去世の行い(罪)が原因であり、正しい教えの実践で、あえて苦難を引きだし、重い罪の報いを軽く受けて消滅させることができると説かれています。

 

そして、大聖人の指導どおり、信心に励んだ池上兄弟。ついには、父親が入信するという結果を示し切っています。

 

いかなる人にも大なり小なり、悩みは必ずあります。また、いつ大きな災い遭うかも知れません。時に計りしれない宿命を感じ、不幸の淵に立つかの思い・・、というのが現実ではないでしょうか。

 

しかし、大聖人の仏法は違います。宿命に真正面から立ち向かう中でこそ、私たちの信仰は強くなると仰せです。苦難そのものが「信心の錬磨」であり「生命の鍛錬」なのです。

故に、「まこと」の信心に立って苦難に挑み抜くことが肝心です。そうすれば必ず、全宇宙の働きが「諸天善神」として現れると共に、境涯を大きく開いていけると、仰せなのです。

 

結局、池上兄弟の勝利の結果は、大聖人の励ましで、我が身に具わる尊極の生命(つまり仏界の生命)をさらに深く信じ切っての「唱題」から始まりました。

 

このことは、正しい信心の師匠を求め、その師匠を模範と仰ぐ弟子の実践があってこそ、広宣流布が進むことを示しています。つまり、この信心には、師弟不二の精神が不可欠であるこということです。

 

 

最後に、池田先生が励ましと導きのお心を体現された、未来部への指導を拝読して終わります。

 

題目を唱えて負けない心を燃やし、努力を重ねる皆さんは、黄金よりも強く明るい光をはなちます。大変であればあるほど、勇気の命をかがやかせ、皆を希望で照らしていけるのです。

 

以上です。

兄弟抄の御書講義(三障四魔・心の師・一眼の亀)について

兄弟抄の中で大聖人は、転重軽受の法理の他に、「三障四魔」・「心の師」・「一眼の亀の譬え」について言及されています。

三障四魔について

2025年4月度の御書講義、【兄弟抄】の拝読範囲(御書新版:1479ページ12行目~1480ページ8行目、御書全集:1087ページ15行目~1088ページ6行目)にて、三障四魔についての講義があります。

本文一部▼
 第五の巻に云わく「行解既に勤めぬれば、三障四魔、紛然として競い起こる乃至随うべからず、畏るべからず。これに随えば、人を将いて悪道に向かわしむ。これを畏るれば、正法を修することを妨ぐ」等云々。この釈は、日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ。

 

日蓮大聖人は、大難に直面した池上兄弟に対する「兄弟抄」を結ぶにあたって、あらためて、信心とは「三障四魔」との戦いであることを確認されています。

心の師について

2025年4月度の研修教材、【兄弟抄】の拝読範囲(御書新版1481ページ3行目~10行目、御書全集1088ページ15行目~1089ページ3行目)にて、「心の師」についての講義があります。

 

本文一部▼

「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」とは六波羅蜜経の文なり。たといいかなるわずらわしきことありとも、夢になして、ただ法華経のことのみさばくらせ給うべし。

 

難のただ中にある池上兄弟と夫人たちを烈々と励まされた「兄弟抄」。その長文のお手紙で、日蓮大聖人が最後に強く訴えられたこと――それは、“あやふやな自分の心を師としてはいけない”ということでした。

一眼の亀について

一眼の亀について、兄妹抄の1080ページ(御書全集)に以下のようにあります。

 

本文一部▼

法華経はさてをきたてまつりぬ又此の経を経のごとくにとく人に値うことは難にて候、設い一眼の亀の浮木には値うとも・はちすのいとをもつて須弥山をば虚空にかくとも法華経を経のごとく説く人にあひがたし。

 

【解説】
「法」をいかに尊くとも、それを実践する「人」がいなければ、何の力も生みません。「法華経を経のごとく説く人」に巡りあうことがいかにまれなことか。大聖人は、「一眼の亀」や、「須弥山をつりあげる蓮の糸」の譬えをあげ、そうした稀なこと、不可能なことが実現したとしても、それ以上に難しいと示されています。

 

まさしくここに説かれている「法華経の行者」とは別して日蓮大聖人のことであられる。五濁悪世の娑婆世界にあって、大聖人と巡りあえることが、どれほど稀なことであるのか。それとともに、大聖人滅後の後世の人々にとって、法華経の真髄である妙法を、大聖人の御書の通りに弘通する、仏法の正しき指導者に巡りあうことも、また至難です。

 

次項に、御書講義にあたり参照した資料を掲載しておきます。

兄弟抄の御書講義の関連資料

以降、兄弟抄の御書講義に際して参照した資料の一部となります。

師子王のごとくなる心をもてる者、必ず仏になるべし

「師子王のごとくなる心をもてる者、必ず仏になるべし」(御書新版1286ページ・御書全集957ページ)との一節を拝し、「信心を奮い起こして活動し切っていく人が、因果?時で、必ず仏になれる」と。また、「異体同心の『同心』とは、南無妙法蓮華経を唱えるという意味である」と。本陣・東京は師の激励に奮い立ち、この年、完全勝利を収めている。(大百蓮華2025年4月号 巻頭言より)

四条金吾殿御返事(世雄御書)

仏法と申すは道理なり。道理と申すは主に勝つものなり。
▼▼
「主に勝つ」とは、賞罰をもって家来を支配する力をもった主君も、仏法の道理の力には断じて勝てない、ということです。
ゆえに大聖人は、所領を惜しんで信心を失うことがあってはならないことを、あらためて強調されています。
ぎりぎりの選択をしなければならない時には、最後は、根本である信心を選び取りなさいとの明快な基準を教えられているのです。
大難の時には、この決定した心がどこまでも肝要なのです。
「主に勝つ」とは、どこまでも信心を貫いて、粘り強く誠実に振る舞い、ついには、主君をその正義に目覚めさせることです。(大百蓮華2025年4月号:〈人間主義の哲学の光彩 池田大作先生の講義に学ぶ〉第16回 弟子の勝利が「師匠の勝利」「仏法の勝利」に2025年4月1日 より)

〈4月度 研修教材〉 兄弟抄 2025年4月1日

御文
「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」とは六波羅蜜経の文なり。
〈池田先生の指導〉
仏法で説く師匠とは、衆生に、自らの依り処とすべき「法」が自分自身の中にあることを教えてくれる存在である。法を体現した師匠、法と一体となった師匠を求め、その師匠を模範と仰いで弟子が実践していく。そのとき、はじめて「心の師」となる生き方が実現するのです。(『一生成仏抄講義』)
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兄弟抄【師子王(ライオンキング)御書:少年少女部】

石は焼くと、灰になって、簡単にぼろぼろとくずれてしまいます。ところが金は焼くと、くずれるどころか、さらに輝きを増してピカピカの真金(しんきん)になる。
人も同じように、お題目を唱え、努力を重ねた分だけ、自分をさらに強く輝かせていくことができると、大聖人は教えられている。
▼▼
ボクも「真金」のような人になろうと思い、お題目をあげて、心を磨いている。
そんなボクもうまくいかなかったり、落ち込んだりする時がある。悩みが無い方が楽だし、その方がいいなって思う事もある。しかし、そんな時にお題目をあげると、苦手なことにも挑戦してみようかなと、不思議と勇気がわいてくるんだ。
▼池田先生の指導【師子王(ライオンキング)御書:少年少女部】▼
題目を唱えて負けない心を燃やし、努力を重ねる皆さんは、黄金よりも強く明るい光をはなちます。大変であればあるほど、勇気の命をかがやかせ、皆を希望で照らしていけるのです。
(未来部への指導でありながら、信心のあり方とその素晴らしさに非常に感銘しましたがいかがでしょう。)

兄弟抄【ビクトリー御書:中・高等部】

仏法では、今世の苦難は過去世の行い(罪)が原因であり、正しい教えを実践することで、あえて苦難を引きだし、重い罪の報いを軽く受けて消滅させてることができると説いています。
大聖人は、池上兄弟が苦難を受けているのもこの法理の通りであり、信心によって必ず乗り越えられると教えられています。
その例えとして、鉄の鍛錬を挙げられます。鉄は熱して鍛えていくと、内部の不純物がたたき出され、その作業を繰り返していくことで一段と強靭になります。
さらに大聖人は、石は焼けば灰となるのに対し、金は焼けば真金となることを示されます。
僕たちの生活に置き換えると、悩みにぶつかった時、現実から目を背けずに、”今こそ自分を磨く時だ”と勇気を出して立ち向かうことが大切なんだ。題目を唱えて一生懸命に祈り、目の前のことに挑戦していけば、必ず成長していけるよ。
▼池田先生の指導【ビクトリー御書:中・高等部】▼
「難のない平坦な道は楽です。しかし、苦難の坂を上り切っていけば、見晴らしの良い山の頂に立つことができる」と語っています。

以上です。

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