唱題の功徳と祈り方とは?題目の力と効果や奇跡とは?御本尊の凄さに迫る!

南無妙法蓮華経のお題目を唱えることを唱題と言います。唱題には功徳があり、祈りは必ず叶うと言われます。しかし、なぜ祈りが叶うのでしょうか。

 

 

南無妙法蓮華経の功徳等について、御本仏日蓮大聖人は仰せです。

『末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり(三大秘法禀承事・御書全集 1,022ページより)』

またいわく、

『今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし、かう申し出だして候も・わたくしの計にはあらず、釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の御計なり、此の南無妙法蓮華経に余事をまじへば・ゆゆしきひが事なり(上野殿御返事・御書全集 1,022ページよりP1546)』

 

創価学会は永遠に御書と題目が根本(唱題根本・題目第一)です。なかんずく、化他行実践のためのお題目に真の功徳があるのです。

 

では、お題目を唱える時の真の祈り方とは?

また、題目の力と、その効果、さらには奇跡的な現証ってあるのか?

 

等々、御本尊の凄さに迫っていきたいと思います。

唱題の功徳と祈り方とはどのように?祈りは叶うのか信じられない人へ!

 

なぜ祈りが叶うのか、なかなか信じられない。正直なところ、信心をしていてもこの思いとの戦いであるというのが実情です。そこを、勇んで信心を起こして唱題に挑戦する中に道は拓けて参ります。

創価学会の池田名誉会長は、なぜ祈りが叶うのかという疑問に対して、「それは、君自身にもともと祈りを叶える力があるからです。その祈りを叶える一番力強い生命を『仏性』ないしは『仏の生命』と言います。そして、仏の命を引き出すためにお題目を唱えるのです。」と言われています。自分の生命の中から引き出され、湧き出した仏の生命の力が、最も良い形で祈りを叶えていくということです。

御本尊への祈りは「信じて祈れば必ず叶う」という観点から述べています▼

御本尊への祈りは叶うのか

どのように祈れば願いは叶うのか?必ず願いが叶う「勤行・唱題」の方法について述べています。▼

唱題の姿勢(祈り方・願い方)

南無妙法蓮華経と唱える題目の効果・結果の出方は、数多く唱えることが重要なのか?それとも「質」も問題なのか?『一遍にして少なからず 百万遍で多からず』ということも耳にします。この問題について、日蓮大聖人の仰せと池田先生の指導から述べています。▼

100万遍の唱題と題目を唱える回数について

題目根本の信心の実践とはどういう事なのかについて述べています。▼

題目根本とはどういうことか

創価学会総体としての祈り、すなわち、創価学会員の祈りの根本について述べています。▼

創価学会の祈りとは何か?

【唱題の功徳】題目の力と御本尊の凄さは「仏の生命が湧き出す」ことで!

 

ではなぜ、唱題をすると仏の生命が湧き出してくるのでしょうか。この点についても、池田名誉会長は、次のように言われています。

 

「南無妙法蓮華経」が、仏の生命の”名前”だからです。みんなもそれぞれ、名前を持っています。「○○君」「○○さん」と呼ばれれば、「はい」と言って、振り向くよね?

同じように、「南無妙法蓮華経」の題目を唱えることで、自分の中から、仏界の生命が呼ばれて「はい!」と元気良く出てくるんだ。

 

大聖人は御書で、「我が生命の中の仏性が南無妙法蓮華経と呼ばれてあらわれるところを仏というのである(557頁趣意)」と仰せです。

そして、南無妙法蓮華経は、宇宙を貫く根源の法です。太陽や星が運行していく究極の力でもあります。

 

宇宙のあらゆる存在の奥底に、みんなと同じく南無妙法蓮華経が厳然と具わっている。ですから、ひとたび、題目を唱えれば、そのすべてが呼び起こされ、味方となっていくんです。

御本尊は、いわば大宇宙に開かれた生命の窓です。題目は、宇宙のあらゆる仏界を呼び起こす合言葉といえる。

 

唱題することで、自身に宇宙大の可能性を開いていくことができる。自分でも気づいていない、本当の自分の力を湧き立たせていくことができるのです。

そして、宇宙の善の力をすべて味方にしていくのだから、これほど強いことはないんだよ。

これは、戸田城聖先生の弟子として、世界に仏法を弘めてきた、私の人生の確信です。

※自分自身にも、宇宙の森羅万象にも全て、等しく具わる究極の『法』を本尊として拝し、唱題することが、法華経に説かれる修行の真髄ということです。

 

「南無妙法蓮華経」とは何か?そして、「南無妙法蓮華経の功徳」とはどういうことなのかについて、様々な角度から述べています。▼

南無妙法蓮華経の功徳とは何か?

題目を唱えるということの功徳について、改めて述べています。▼

題目の功徳

筆者の祖母が臨終にあって、南無妙法蓮華経のお題目で顕した「現証」について述べています。▼

お題目で叶えたこと(祖母の唱題)

題目の力の凄さと、その功徳の現れ方について、題目根本の体験を交えて述べています。▼

題目の力の凄さ(すごさ)について

題目(唱題)の効果や真の「奇跡」の出現は「自行化他」の唱題の実践に!

唱題には功徳がある。ではより大きな功徳を得る祈り方とは?また、題目の力とはどんな大きさ。偉大さなのか?そしてその効果や現れた奇跡とは?さらにまた、御本尊の凄さとは?

 

残念ながら、その真実については、人の数だけ存在します。

感得するのが、個人個人だからです。

しかし、事実は「一つ」です。

 

経験した人の多くが証言する「唱題の功徳」ですが、では、胸中にあるという偉大な存在(御本尊)を信じて唱えれば良いのであれば、法華経に関連する「どんな教団」に所属していても、また、あくまで個人で実践しても、その功徳に変わりはないのか?

この点が大きな問題です。

 

御書には「末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(1022頁)とある。末法においては、自行においても化他においても、成仏の根本法である南無妙法蓮華経を実践することが、正しい仏道修行となる。

引用先:SOKAnet

 

「化他」とは、他人と世の中にとことん関わっていくことです。

すると法理にのっとって、必ず、反発や迫害が生じます。三類の強敵(さんるいのごうてき)との対峙です。

 

日蓮大聖人以降、三類の強敵との対峙に連なる中での「自行化他」。それができ得たところはどこか?という問題です。

そういう、自行化他の唱題・お題目の実践なのか否か?

 

主観という浅い「真実」を脱却して、真の事実上の功徳か否か?ここが重要です。

 

時に、「奇跡」ということばですが、超常現象ということかと思います。超能力・神通力にも通じることばですね。

しかし、日蓮大聖人は仰せです。

今日蓮等の類いの意は即身成仏と開覚するを如来秘密神通之力とは云うなり、成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり(御義口伝巻下 753ページより)

 

妙法とは、末法の法華経とは、実に、甚深の法門なのです。

 

「唱題の功徳」、「題目・御本尊の偉大さ」を真に感得するには、徹底した「自行化他」にわたる実践の中での「お題目」でなければならないのです。

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