読経・唱題・祈り

創価学会の祈りとは何か?

創価学会の祈りは広宣流布の大願を成就することにあります。また、創価学会員個人個人の様々な祈りも、その成就をもって妙法の偉大さを証明し、広宣流布大願の祈りに連なっていくのです。

創価学会の祈りとは、組織としての創価学会の祈りと創価学会員個人の祈りがありますが、双方共に、最終的に志向する祈りは『広宣流布大願成就』という一つの大願に尽きるのです。

仏教の開祖である釈尊は、法華経方便品第二の中で、仏がこの世に出現したのは、衆生の中にある仏の智慧(仏知見)を「開き」「示し」「悟らせ」「入らしめる」ことが目的であったと述べています」。釈尊が真実を述べた法華経でのメッセージこそ、「自分自身が仏である」「わが胸中の太陽を仰げ」ということなのです。

そして末法の法華経をもって、このことを実現しているのが創価学会です。戸田第二代会長いわく『世の中から悲惨の二文字をなくしたい・・』とは、釈尊の念願であり、創価学会の念願(祈り)にほかなりません。

創価学会員個人の祈りと広宣流布

創価学会の庭で信心を開始した方々の目的の多くはやはり、病苦・経済苦・人間関係などの直面する自身の課題の解決だと思います。そしてこれらを、題目根本・信心根本に乗り越えるならば、そこに、妙法の厳然とした功徳の実証が示されます。

そしてこのことはまた、妙法を弘めいく「広宣流布の大願」となって参ります。創価学会員個人の祈りは、創価学会総体(組織全体)の祈りとなんら変わることはないのです。

体験を積む、実証を示していくということは、自身の信心の継続と深化にとっても重要なことです。そして肝心なことは、今現在、他人の目にどのように映ろうが、御本尊と妙法を確信して、妙法のすばらしさを語っていくことにほかなりません。

これが、創価学会員個人の祈りのスタンスです。時に、この事が、外面から見た組織としての創価学会のあり方や祈りと遊離して評価されることがあり、誠に遺憾であります。

創価学会はあくまでも、このような個人を同志の皆で支えあうための存在であり、『広宣流布大願成就』という祈りの最終目的は、全人類の個人の幸福に他ならないのです。