題目根本・唱題根本

題目の力の凄さ(すごさ)について

題目の力のすごさには目に見えて歴然としたものが確かにあります。その題目の力について、自信の体験も踏まえて述べています。題目根本にスタートする中、功徳を実感できる日々でありたいと念願します。

題目の力の凄さ、南無妙法蓮華経のお題目を唱えたことによる結果については、往々にして目前の証拠を求めがちであろうかと思います。題目の力は本当にすごいと思います。ただし・・。

題目の力の凄さ!功徳の現れ方について

悪世(末法と言われる現代)にあって、妙法を信じる功徳は【冥益(みょうやく):すぐには現れない功徳】をおもてにすると言われています。信心の継続によって、かつてとは信じがたい境遇になっている等のことを指しています。

但し、【顕益(けんやく):目に見える功徳】が次の三つの条件の時に現れるとされます。

①妙法がまさに滅亡せんとする時
②命の及ぶ危機に直面した時
③初心の功徳

初心の功徳とは、妙法を信じて、信心を始めようと決意した時に厳然と現れる功徳のことです。

筆者はかつて、高圧水の取り扱いを仕事にしていた時期がありました。日々、絶対無事故を祈念しつつお題目を欠かさぬ日はありませんでした。ある日、誤った指示によって、高圧接合部分を無為に取り外したところ、高圧の勢いで接合部分の重い金具が飛散!その内の一つは、私の頭部のすぐ横をかすめて天空高く飛んで行きました・・。頭部直撃なら、私の頭蓋骨は粉砕されていました。

筆者の父は建設現場の監督をしていました。当時の父は、尿管結石を患っており、現場での打ち合わせ中に激痛が襲い、保険休養所へ。その直後、立てかけてあった木材の多くが倒れ、現場に残された人たち数人が大怪我をされました・・。

筆者がいただいた、お題目による功徳は数多くありますが、顕益として目前に現れた功徳の筆頭は上記の2つかと思います。

今また、自身の人生を振り返り、冥益・顕益を共に思い併せるならば、題目の力無くして自身の人生は無し。そのように言えるのではないかと思えてなりません。