功徳と体験談

創価学会の信仰体験(祖母が半眼半口の相で)と善智識!反創価学会の団体の本質に迫る!

 

2024年世界青年学会開幕の年、次代の青年の育成を旨に、創価学会の2月度の座談会が開催されます。

 

その場で、体験発表(信仰体験)をすることになり、その内容をまとめました。

 

  • 祖母が半眼半口の相で亡くなった現証とその経緯
  • 善智識の重要性と反創価学会の団体の本質

 

以上について、体験発表の原稿としてまとめています。

創価学会の信心で祖母が半眼半口の相で亡くなった!現証を訴えた体験発表

 

私の祖父、●●Hは、●●で小学校の校医を勤めた地元の名士でした。当時、自動車と運転手を抱える程の身の上でしたが、病に倒れてから後、●●家は凋落の一途をたどりました。

 

そんな中、看護士だった祖母の●●が一人、医院を切り盛りし、5人の子供を育てあげています。私の父・●●は次男にあたります。

 

私が幼い日、悠然と親戚まわりをする祖母を覚えていますが、月日は流れ、いつしか祖母の●●はボケてしまいます。

 

ある日の夜間、そんな祖母に手を焼いた長男が、私の家の玄関に祖母を置き去りにして逃げ帰ろうとする事件がありました。

 

結局、祖母の●●はうちで、つまり、次男・●●の家で面倒を見ていくことになりました。当時、私は小学校4年生でした。

 

頭が良く博学で気の強かった祖母が、四つん這いで動き回り、ブツブツつぶやく日々が続きました。

ところが、ある日を境に仏壇の前に座り、お題目をあげるようになると、祖母は、瞬く間にまともな会話が出来るようになりました。さらには、それから任用試験を受験し、見事に合格を果たしています。

 

それから間もなくと記憶します。祖母は体調が悪いといい、寝入ることが多くなりました。顔はむくんでみにくく、別人のようになってしまいました。

 

ある夜、私は祖母から、お腹をさすってくれるように頼まれ、長時間さすってあげた後、隣の部屋で床につきました。

その晩のこと、祖母がお題目を上げる声に目を覚ましました。延々と途絶えることなく題目は続き、その声の中、いつしか私は眠りに入っていきました。

 

翌朝、祖母は亡くなっていました。

しかし、祖母は別人になっていました。腫れあがったまぶたは薄くキレイになり、まるで少女のようなほっそりとした顔立ちに。その半眼半口の顔立ちは絶句するばかりでした。

父も母も、祖母の唱題の声を聴いており、信心の原点だと言い合ったことが思い起こされます。

祖母が半眼半口の相で亡くなった現証を訴えて折伏(仏法対話)

その日から半世紀が過ぎ、父の妹で●●区に住む叔母と遭う機会がありました。

叔母一家は元々、学会の活動家で座談会場の提供もしていましたが、やがて退転し、霊友会に入会しています。

 

その叔母が私の知らない昔話をするのですが、祖母の●●は風呂場で溺れて亡くなったことになっていたのにはビックリ。

その場で、真相を話し、創価学会の信心の凄さを訴えることになりました。

半眼半口(はんがんはんぐ)とは、仏教において、悟りを開いた者の顔つきを形容した言葉です。 半眼とは、目を開けているのでも閉じているのでもない、半開きの状態を指します。 半口とは、口を閉じているのでも開けているのでもない、半開きの状態を指します。

引用先:成仏の相

善智識こそ大切!反創価学会の団体の本質とは何か?

 

さて、文京区の叔母と縁して、改めて思ったのですがーー

霊友会もしかりですが、御本尊に同じお題目をあげているのに、どうして創価学会以外にいくつもの教団があって、時に、学会を攻撃・批判したりしているのでしょうか?

 

今回、それが判った気がしています。

 

創価学会の信心では、自分のことで手一杯のはずの凡夫が、他人の心配もして一生懸命お題目をあげて仏法を語るという、大聖人が仰せどうりの実に困難な事を成し遂げています。

これは間違いなく、三代会長の指導も含め、組織で善智識となって接してくれる先輩の方々のおかげです。

 

しかし、その反対の存在が必ず現れることも仏法の法理では説かれています。

同じ、学会の同志のはずが、怨嫉を抱いて信心を妨げる、あるいは、本意でない発言なのに、妨げと感じてしまうということがあるのです。

 

このような生命(いのち)の現われが名前を変えて組織の外にいくつも存在している。それが、創価学会を攻撃する教団なのではないでしょうか。

だから、いけないのであります。

 

では今、世界青年学会開幕の年にあたり、どういった生命(いのち)の姿勢であるべきか。それはーー。

汝(なんじ)善智識たれ! ということではないかと思いました。

そして、池田先生も、そのように言われているように感じられてなりませんでした。

以上です。

 

【関連記事】

善智識の御書と池田先生の指導(三三蔵祈雨事:仏になる道は 善知識にはすぎず)

創価学会の信仰体験についての追記

以下の追記部分は、時間の関係で、座談会での体験発表から割愛しています。

 

【追記①】

男子部時代、祖母をうちの玄関に捨て置いた長男(伯父)を遠路・折伏に行きました。そんな伯父でも、子供の私には優しく接してくれていたので、私には敵愾心など、微塵もありませんでした。
ところが、●●からそんな事を言われるくらいなら、そこの枝に首を括って死んでやる!と、想像もしなかった言葉が返って来ました。
ガックリと肩を落とし、帰りの電車に乗ったことが、昨日の事のように思い起こされます。

【追記②】

その後、長男(伯父)は、肺癌にかかり、苦悶の末に亡くなりました。諸般の事情から、献体を申し出ていた伯父の「肺の患部の摘出されたもの」を、母と2人、確認しに行きました。
黒く汚い部分が喫煙の痕で、白い部分が癌細胞でした・・。その後、関係者から、伯父が苦しみの為にベッドに仁王立ちになったことがある・・などという話も聞きました。

【追記③】

この度、父の妹で●●区に住む叔母から初めて聞きました。長男(伯父)は、うちに祖母を連れて来る前に、叔母の家に祖母を捨ておこうとしていたといいます。それが断られ、祖母はさらに、うちに連れて来られたということになります。

以上です。