発心と抱負・決意

善知識がいかに大切か

善智識とは信心を励まして下さる師匠・同志・広布の組織のことを言います。善智識のことを善友とも言います。

仏法の究極である法華経の元意は『一切衆生が皆、成仏できる道』を説いたところにあります。すなわち『いかなる人も必ず成仏できる』ということなのです。

ところが、これが誠に信じがたいことで、いざ信じて妙法(法華経)の実践に踏み切れば、必ず障魔(三障四魔)が競うのです。この障魔が競った時に強い支えとなる善知識の存在は不可欠のものです。何があっても師匠と共に、同志と共に人間革命・宿命転換の道に邁進することが大切です。

もし、障魔(三障四魔)が競った時に、善智識を求めることがなければ、結局は法華経を信じ切れなかったわけで、日蓮大聖人は『無間大城に堕つ』と言われています。反対に、どこまでも善智識を求めるならば『間違いなく成仏をとぐ』と言われています。

一切衆生に仏の命が具わると説く法華経の元意には誠に信じがたいものがあります。まずは、「我もいたし 人をも教化候へ」 という日蓮大聖人が仰せの実践を、南無妙法蓮華経のお題目を根本に、挑戦し、揺るがぬ体験を得ることが先決であり重要です。そのためにも善智識は欠かせません。

善智識を求め行く信心の発露は、やがて自らも善智識となって、多くの人を救っていけるのです。日蓮大聖人は、師匠と共に、同志と共に、【水魚の思いを成して】信心修行に励むことこそ『生死一大事の血脈』であるとも言われています。仏法流布・広宣流布の根幹となる心であり姿勢であるということなのです。

zenchishiki善智識がいかに大切か

善智識(ぜんちしき)の関連情報

当ページの図(善知識がいかに大切か)は以下からダウンロードできます。

Wordファイルダウンロード(A4版)⇒善智識がいかに大切か