とにかくに 法華経に身をまかせ 信ぜさせ給へ、殿一人に かぎるべからず・信心をすすめ給いて 過去の父母等をすくわせ給へ。
日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり(刀杖難事、1557~1558頁)
【通解】
とにかく、法華経に pic.twitter.com/zAHfzTdPlC— れんげ🍀心こそ大切なれ (@hima1118wari) March 19, 2022
2014年(平成26年)2月度の座談会御書は上野殿御返事(うえのどの御返事)です。別名を刀杖難事(とうじょうのなんのこと)と申します。
本抄は、弘安2年(1279年)4月、日蓮大聖人が身延で認められ、駿河の国の青年門下である南条時光に与えられたお手紙です。
大難に直面していた南条時光に対して、何があっても法華経に身を任せて信じていくように促されています。
当時、駿河の国方面の熱原では、日興上人を中心とする果敢な弘教で、地元有力寺院の僧侶はじめ、多くの農民信徒が大聖人の仏法に帰依する状況でした。
かたや、熱原の地は、幕府・北条家の直轄領が多くある、いわば、日蓮大聖人を敵視した勢力の膝元でもありました。大聖人の仏法の急速な拡大に危機感を抱いた権力者が、大聖人の門下に厳しい弾圧を加えるようになり、地頭である南条時光は、その渦中にありました。
本抄の背景・刀杖難事(とうじょうのなんのこと)
本抄の冒頭で大聖人は、自らが受けられた種々の大難のうち、命を捨つる程の大難として、「竜の口の法難」と「小松原の法難」の二つを挙げられていますが、いづれも、法華経に説かれる「刀の難」とされています。
そして、けして忘れられない事として、竜の口の法難の際、平左衛門尉(へいのさえもんのじょう)の部下である小輔房(しょうぼう)が、大聖人から取り上げた「法華経第五の巻」で大聖人の顔を3度までも打ち据えたことを挙げられ、これを「杖の難」とされています。
また、「法華経第五の巻」には提婆達多品第十二から従地湧出品第十五が収められており、これらには、即身成仏の現証、刀と杖による迫害等が」記されています。
上野殿御返事の拝読範囲
このように、法華経を身をもって読まれ、大難を勝ち越えてこられたご境涯から、青年門下・南条時光に対し、『何があっても法華経に身を任せて信じていくよう』促されているのです。それが、以下、今回2月度座談会御書の拝読範囲となります。
『とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ、殿一人にかぎるべからず・信心をすすめ給いて過去の父母等をすくわせ給へ。日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり(御書全集1557ページ18行目から1558ページ2行目より引用)』
上野殿御返事・拝読範囲の御書講義
わが弟子に信仰の精髄を教えたい。師弟共戦の誓願の道をつら抜きとおして欲しい。
とのお心を拝して参りたいと思います。
日蓮大聖人は、そのお心を「一日片時も・こころやすき事はなし」と仰せです。
南条時光への激励からもわかるように、大聖人のお心は、どこまでも一人を大切に『相手のため』という一点に心を注がれています。
相手を思い、「法華経の題目を弘めんと思うばかり」であるが故に、「一日片時も・こころやすき事はなし」とのお心です。
そして、そのお心から、何があっても、『法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ』と仰せなのです。
「法華経に身を任せ」とは具体的に、縁ある人々に信心を勧めきって行きなさいとご指導されています。「過去の父母等」とは、この世に生を受けている縁ある人々全てということです。
以上、日蓮大聖人のお心を拝し、また、我が心として、仏法対話・折伏弘教に邁進して参りましょう。
上野殿御返事(刀杖難事)の拝読範囲以降の御文
今回の拝読範囲以降には、以下の御文が続きます。大聖人のお心を拝する上のご参考に記します。
『日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり、相かまへて相かまへて自他の生死はしらねども御臨終のきざみ生死の中間に日蓮かならず・むかいにまいり候べし、三世の諸仏の成道はねうしのをわり・とらのきざみの成道なり、仏法の住処・鬼門の方に三国ともにたつなり此等は相承の法門なるべし委くは又申すべく候、恐恐謹言。
かつへて食をねがひ・渇して水をしたうがごとく・恋いて人を見たきがごとく・病にくすりをたのむがごと く、みめかたちよき人・べにしろいものをつくるがごとく・法華経には信心をいたさせ給へ、さなくしては後 悔あるべし、云云。
弘安二年己卯卯月二十日 日蓮花押 上野殿御返事(御書全集1558ページより引用。)』