2024年10月度の座談会御書は「聖人御難事」です。地区座談会用の講義内容を「大勝利座談会」向けにアレンジしました。
拝読範囲は、「たとい大鬼人の・・」からですが、「月々日々につより給え すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」の部分が日蓮大聖人の重要なご指導です。
広布に励む人に諸天の加護は厳然ですが、その為には弛まぬ実践が不可欠であると仰せです。
2024年10月度座談会御書「」の背景大意・本文・通解
【背景と大意(聖人御難事)】
本抄は、門下最大の迫害とされる「熱原の法難」の渦中、弘安2年(1279年)に日蓮大聖人が58歳の折り、身延で認められ、門下一同に与えられたお手紙です。大聖人の言うとおりにすれば絶対に大丈夫と仰せです。
【拝読範囲の御文(聖人御難事)】
たとい大鬼神のつける人なりとも、日蓮をば梵釈・日月・四天等、天照太神・八幡の守護し給うゆえに、ばっしがたかるべしと存じ給うべし。
月々日々につより給え すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし。
(新版御書:1,620頁4行目から7行目/御書全集:1,190頁10行目から12行目)
【拝読範囲の通解(聖人御難事)】
たとえ大鬼神がついた人であっても、日蓮を梵天・帝釈・日天・月天・四天王また天照太神・八幡大菩薩が守護されているゆえに、罰することができないと、確信していきなさい。 月々日々に、信心を強めていきなさい。少しでもたゆむ心があれば、魔がそのすきに付けこんでくるであろう。
聖人御難事 2024年10月度の座談会御書講義
以下は、2024年10月度の座談会御書「聖人御難事」の拝読範囲の意訳となります。
大鬼神がついた人、つまり民衆を不幸にする魔性にほだされた権力者です。たとえ、そういう者の危害があっても日蓮大聖人は、梵天・帝釈などの諸天善神、つまり全宇宙の働きに守護されて罰っせられなかった。
門下もまた同じであると確信していきなさい。
しかしその為には、月々日々に、信心を強めていきなさい。少しでもたゆむ心があれば、魔がそのすきに付けこんでくるであろう。
さて、ここで飛躍しますが、「権力の魔性を振りかざす」政治家や政界を無くす戦い。それが、今回の支援の戦いでもあると思いますがいかがでしょう。
権力の魔性と言えば、法華経の行者を迫害する三類の強敵の中でも最大の敵である僭聖増上慢です。でも、絶対に大丈夫。
しかし、その為には、三障四魔が付け込まぬよう、少しも弛む心なく、月々日々に、信心を強めていきなさい。と、大聖人は仰せになっています。
そこで今回、三障四魔ともなりうる、創価学会の選挙支援に対する批難の声を破折しておきたいと思います。
衆院選2024に全力支援の創価学会!これに対する批判の声を一蹴
「選挙支援の度に言われる聖教分離に違反する、との声」に対して▼
聖教分離とは政治権力が特定の宗教を擁護し特別扱いすることを禁じたもの。そもそも公明党は民衆勢力である創価学会が作りました。人間主義に徹した政治家を政界に送り出し国家を繁栄させる為の戦いがどうして非難されなければならないのか!
「学会員は洗脳されている。旧統一教会と同じ、との声」に対して▼
真の学会活動には「勇気」が不可欠です。その勇気を湧きいだす為、「自ら進んで」唱題の実践に励んでいます。その一大善友の団体こそが創価学会です。「洗脳」など、入り込む余地は一切ありません。
「学会活動の根本である座談会や未来部の会合中止はおかしい、との声」に対して▼
立正安国論(御書31頁)にいわく、「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」とあります。
我が身一族の安全・安穏を思っても、我が身を取り巻く国家・社会が平穏でなければ、それは断じて叶わない、との仰せであり、大聖人の仏法の根本精神です。
そして今回の選挙の支援は、「国家・社会の平穏・繁栄」を期しての戦いです。故に、会合中止云々など、本末転倒の批判と言わざる得ません。
以上を断言し、最後に、戦いの目的を確認させていただきます。
実は単に、国家・社会の安穏が叶っても、宿命・運命に翻弄されていては真の「一身の安堵・幸福」は叶いません。今回の支援の戦いは、折伏弘教となんら変わらぬ「宿命転換の為の戦い」であります。
どこまでもお題目根本に、絶対無事故で、大勝利して参りましょう。
以上です。