2025年1月度の座談会御書は「三沢抄(みさわしょう)」です。座談会の御書講義に向けて拝読範囲の内容を整理し、要点をまとめています。
拝読される方々もまた、日蓮大聖人の「法門にちぎり有る人」であり、研鑽の成果を「師匠と共に同志と共に」、実践に生かし切って行きたいと思います。
目次
2025年1月度座談会御書「三沢抄」の背景と大意
本抄は、建治4年(1278年)2月23日、日蓮大聖人57歳の時に、駿河国(するがのくに:現在の静岡県中央部)の富士方面にある三沢に領地を持ち住んでいた三沢殿に送られたお手紙です。
本抄の背景となった当時、駿河の地は、北条幕府一門の直轄地が多く、幕府から警戒されていた大聖人一門にとって特に注意を要する土地でした。
本抄を送られた数日後に建治年間は弘安年間に変わり、弘安2年にはこの地で「熱原の法難」が起こりますが、その迫害が始まった時期でもありました。
そんな地域での、音信が途絶えがちな苛烈な戦いの中、三沢殿は大聖人に柑子(こうじ)みかん100個と川海苔などをお届けしています。本抄は、そんな三沢殿への励ましのお手紙です。
「三沢抄」全体の大意は以下のとおりです。
- 仏法流布の実践には必ず三障四魔が競い、仏道の成就を妨げるが、大聖人は初めからそれを覚悟しての弘教に邁進して来た。
- 特に佐渡流罪以後、大聖人は末法の御本仏としての境地を明かされ、全世界への広宣流布を宣言されている。
- 三沢殿の縁者である、内房尼御前(うつぶさのあまごぜん)の本末転倒した信心に対する厳愛の指導。
- 真言宗は亡国の悪法であると破折。
2025年1月度座談会御書「三沢抄」の拝読範囲の本文・通解・語句
拝読範囲本文
この法門出現せば、正法・像法に論師・人師の申せし法門は、皆、日出でて後の星の光、巧匠の後に拙きを知るなるべし。この時には、正像の寺堂の仏像・僧等の霊験は皆きえうせて、ただこの大法のみ一閻浮提に流布すべしとみえて候。各々はかかる法門にちぎり有る人なれば、たのもしとおぼすべし。(御書新版:2014ページ・1行目~4行目|御書全集:1489ページ・15行目~17行目)
拝読範囲通解
この法門が出現するならば、正法時代や像法時代に論師や人師が説いた法門は、どれも、日が出た後の星の光のようなものであり、名匠が出た後に(以前のものの)拙さが分かるようになるだろう。 この時には、正法・像法の寺院の建物にある仏像や僧たちの利益は全て消え失せて、ただこの大法だけが全世界に流布するであろうと説かれている。 あなた方は、このような法門に縁ある人なのだから、頼もしく思いなさい。
語句の解説
正法:仏の滅後の三つの時代区分「正法」「像法」「末法」の一つ。正法時代のこと。仏法が正しく実践される時代。
像法:仏法が形式化、形骸化する時代。
論師:「論」を著して仏法を宣揚する人。例えば、正法時代の竜樹、世親(天親)など。
人師:論師に対する言葉。「経」「論」を解釈して人々を導く人のこと。例えば、像法時代の天台大師や妙楽大師など。
2025年1月度座談会御書「三沢抄」の拝読範囲の解説と講義
拝読範囲を要約すると、「日蓮大聖人の仏法の出現によって、力の無い仏教の全ては消え失せ、大聖人の大法のみが全世界に流布するであろう。我が門下はこの偉大な法門に縁があるのであるから、実に頼もしいと思いなさい」と仰せになっています。
では日蓮大聖人の仏法とは、いったい何でしょう?
仏教では、釈尊滅後の1000年間を正法時代、次の1000年間を像法時代といい、釈尊在世の説法にも功力がありました。しかし、滅後2000年以降の末法という時代になると、あらゆる民衆の生命が無明という根本的な迷いの生命に覆いつくされ、正法・像法時代の仏法では、この無明を払うことが出来なくなります。
これに対して釈尊自身が法華経で「自身の滅後、末法の時代には力ある真の仏法を広宣流布しなさい」と宣言しており、その真の仏法こそが「大聖人の仏法」です。
日蓮大聖人の仏法は、末法のあらゆる人々の苦悩を根本から解決する大法であり、末法の全民衆を永遠に照らし救い行く「太陽の仏法」であるということです。
故に、これまでの「民衆救済の力の無い仏法」を「太陽が昇れば消え失せる星の光」・「名匠の作品が出現すれば、ボロの出る駄作」、とされさらに、このような偉大な法門に縁のある人なのだから頼もしく思いなさい、つまり、妙法流布の誇りと使命に生き抜きなさい。と仰せになっています。
池田先生は、日蓮大聖人の「太陽の仏法」についてーー▼
いかなる時代の困難をも乗り越える「無限の希望の力」がある、と言われ、この太陽の仏法に「ちぎり有る」深き宿縁と使命を持って生まれた私たちに対し、【広布の「法旗」を握りしめ、堂々と、賑やかに勝利の道を歩み抜こう。世界の友と!】と言われています。
また、大百蓮華1月号59頁上段で、池田先生はーー▼
「大聖人の仏法は、誰人も尊極な生命を持ち、誰人も太陽の如く輝いていくこと出来ることを説き明かされた希望の宗教です。」と言われています。大聖人の仏法は、まさに、究極の人間主義なのであります。
しかし、末法の人々は、誰人にも具わる尊極な生命を信じられず、誹謗中傷し謗法を犯すに至っています。故に、これを諭し破折し行く戦い、折伏弘教・仏法対話こそが、末法の仏道修行であり、その為の団体がSGI・創価学会です。
師匠と共に、先生と共に、とはまた、偉大な「大聖人の仏法」と共に、ということです。
折伏弘教・仏法対話には必ずや三障四魔が競いますが、唱題根本に、同志と共に、師弟不二の精神で、勝利と飛翔の一年を勝ち取って参ろうではありませんか。
2025年1月度座談会御書「三沢抄」の拝読範囲の講義の補足|創立100周年へ 私の人間革命 実践3指針
為にする誹謗中傷や曲解がまかり通り、世論が作り上げられ、現実に大きな影響を与えると言う時代になっています。創価学会への心無い批判の為の論議も盛んですが、論議のための論議は所詮は「絵に描いた餅」に過ぎません。
【人は行いによって貴くもあり卑しくもある】とは、世に知られた釈尊の明言です。
日蓮大聖人の仰せどおりに実践し行動しているのは誰か?創価学会の同志の方々以外にはありません。実に貴く誇り高きことです。
そこで、本年の総千葉の「実践3指針」を改めて確認して終わりたいと存じます。この3指針、実に、日蓮大聖人の仏法を実践していく上での三つの基本──信・行・学(しん・ぎょう・がく)が込められています。
創立100周年へ 私の人間革命 実践3指針
一、誓願の勤行・唱題を実践しよう!
一、真の友情を深め広げよう!
一、「御書」『新・人間革命』を研鑽しよう!
以上です。
2025年1月度座談会御書「三沢抄」の講義の関連資料
【人は行いによって貴くもあり卑しくもある】とは、世に知られた釈尊の明言です。についてーー▼
一三六 生れによって賤しい人となるのではない。生れによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンとなる。
中村元訳『ブッダのことば』第一、蛇の章、七.賤しい人 p35
・・・・
人は生れによって身分が決まるのではなく、その人の行う行為によって賤しい人ともなりバラモン(聖職者)ともなるのだというのがこの詩句の意味であります。
引用先:お釈迦様のことばに聴く
三沢殿の縁者である、内房尼御前の本末転倒した信心に対する厳愛の指導についてーー▼
内房の尼御前が氏神への参詣のついでに身延の日蓮大聖人を訪ね、面会したいと申し出たことについて、その本末をわきまえない不心得を正し、法華経(御本尊)を根本とする信心の基本姿勢を教えるために面会しなかったことを述べられている。
内房尼御前は駿河国庵原(いはら)郡内房の住人である。三沢殿とは何らかの縁戚関係にあったと思われる。
「御としよ(年寄)らせ給いて御わたりありしいた(痛)わしくをもひまいらせ候いしかども」と仰せのように、大聖人からみれば「をやのごとく」なる高齢の身で、訪ねてきた内房の尼に対し、それが氏神参拝のついでであったことから、そのまま対面したならばかえって尼の謗法の罪を重くするとの御配慮から、まことに気の毒とは思われながらも会わずに帰された。