2017年の酉年を目前とする年末から年始にかけて、毎年のことではありますが、酉年(とりどし)の運勢は?、という問いかけや情報収集がネット上で盛んになります。
新年の覚悟のためか?縁起を担ぎたいからからか?新年の挨拶のネタにしたいからか?様々な理由による、年末年始に特化した需要といえます。
特に、運勢や運命を占いの観点から、恋愛に関する自身の問題として、受動的に知りたいと思う女性も圧倒的に多いとのこと。
運勢とは、いったい何なのでしょう。
運勢や運気は生(生きていること)が前提
鍼灸(しんきゅう:針と灸による東洋医学の治療法)などの世界に「ツボ」という概念があります。また、ツボをつなぐ「経絡(けいらく)」というものも。これらは、身体の特定の部位を指していう言葉ですが、身体のその部位に特別の器官が存在するわけではありません。
生きている身体が健康か不健康かを感じる、という観点でのみ存在する概念で、死んでしまえば、ツボも経絡も、その存在は雲散霧消してしまいます。
そして、数々の占いの世界でいわれる「運気」。生まれた時期の星座や干支や血液型により、また、年、月、日によって運気は、上昇・下降、強弱があるといわれます。
つまり、占いの運気もまた、ツボや経絡と同様に、人生に幸福・不幸福を感じる生きている人間あっての概念であるということです。
運勢と宿命と宿業
人は、生まれながらにして百人百様の肉体と健康度で、これもまた様々な環境に生を受けます。また、これによって、占いでいうところの、星座、干支、血液型や生年月日も様々です。そして、それぞれの人に、様々な占いの鑑定結果が示されます・・。
問題は、なぜ「あなた」がそのような境遇に生を受けたのか、そして、なぜ「あなた」はあなた特有の人生を歩んでいるのか、という根本的な命題があると思いますがいかがでしょうか。
運勢、運命がどうであるかという以前の問題ということです。
このことを、仏教の生命観で、「宿命(しゅくめい)」と称しています。
仏教の生命観の根本は縁起説であり因縁果報です。原因が縁に触れて結果を生み報いとなってあらわれるということです。そして、このこのが、生死を超えた永遠の生命について説かれています。
宿命という概念は、運勢や運命のような、生きている今を前提とした概念を超越したものであると言えましょう。
さらに、宿業(しゅくごう)という概念があります。主に悪い行いによる悪い結果を生む「原因」のことを指します。悪因あれば悪い報いが、良い因を積めば良い報いがあるということです。
さらに法華経という釈尊が最後に説いた生命の全体像に迫る経典の中で、悪因の根本は、「正法(しょうほう:正しい教え)」に背くことにあると説いています。
そして、正法の説く真意は、「万人に仏様の生命が元来そなわっている」ということで、これが信じがたく、正法に背くが故に、悪因の根本となるということなのです。
では、どうすれば良いのか・・下記の記事を参照下さい。
⇒ 転重軽受(てんじゅうきょうじゅ)と願兼於業(がんけんおごう)