出題される四条金吾殿御返事(不可惜所領御書)の本文
『一生はゆめの上、明日をごせず。いかなる乞食には・なるとも、法華経にきずをつけ給うべからず。されば同くは・なげきたるけしきなくて、この状に・かきたるが・ごとく、すこしも へつらわず、振る舞い仰せあるべし。中々へつらふならば、あしかりなん(御書1163~1164ページ)』
通解
一生は夢の上の出来事のようであり、明日のこともわからない。どのような辛い境遇に
はなっても、法華経に傷をつけてはならない。それゆえに、同じ一生を生きるのであれ
ば、嘆いた様子を見せないで、私がこの陳状に書いたように少しもへつらわず振る舞い、語っていきなさい。なまじへつらうなら、かえって悪くなるであろう。
四条金吾殿御返事(不可惜所領御書) ご執筆の状況
建治3年(1277年)7月、鎌倉の門下の中心的な存在であった四条金吾に送られたお手紙です。当時の金吾は、主君(勤める会社の社長にあたる)から、信心をやめなければ所領(お給料のこと)を没収すると命令されていて、大変な状況でした。
四条金吾殿御返事(不可惜所領御書)の要点
日蓮大聖人は、永遠の生命から見るならば、一生は一瞬の夢のようなものであり、明日の身の上がどうなるかはわからないと仰せです。
たとえ、病苦や経済苦などで苦しかったとしても、それに負けずに信心を貫いていけば、法華経に傷をつけることにはなりません。反対に、境遇や自分自身の弱い心に負けることが、法華経に傷をつけることになります。
大聖人は、財産や地位や名誉に執着することで信心を見失い、結果として法華経に傷をつけるようなことがあってはならないと厳しく教えられています。
故に、大聖人は、苦しい状況にあっても、嘆いた様子を見せず、媚びへつらうことなく、威風堂々と正義を語ることが大切だと仰せです。
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本文中の「此の状(この陳状)」とは?
「頼基陳状」のこと。 主君の江間氏から「法華経を捨てなければ、所領を没収する」 との命令書が、四条金吾に下された。その報告を聞かれた大聖人が、金吾に代わって認めた長文の弁明書のこと。
※大聖人のご指導どおりに振る舞った四条金吾は、やがて3倍の領地を与えられるという、信心の実証を示しました。
関連する池田先生の指導
どんな仕事であれ、どんな立場であれ、題目を唱える自分自身が智慧を出し、力を尽くして、世のため、人のため、誠実に価値を創造していく。それは、全て「心の財」を積む仏道修行になります。仕事と信心は、別々ではない。むしろ、仕事を最大に充実させていく原動力が、信心であり、学会活動なのです。(2012年5月22日付け聖教新聞:若き君へ 新時代の主役に語る 新社会人に贈る<上>より)