葬儀と法要

烏竜遺竜事 純粋な信心で追善回向

8月初旬、地区内のご婦人宅で、ご主人の一周忌法要を少人数で行うことになりました。

その席で、勤行の導師を依頼された私。一周忌法要での挨拶に、気の利いた「一言」が求められます。

追善回向に関する諸御抄は数々あり、友人葬での定番の御書もあります。これらには、学会指導による解説もあって、信心向上にはうってつけです。しかし、どれも、どこかで聞いた話・・のようなイメージを拭えず、私の話の組み立ても、どうしても座談会御書的な感じになってしまいそうで、喪主のご夫人にはふさわしく思われません。

そこで、上野尼御前御返事の中で紹介されている「烏竜と遺竜の故事」のあらすじを紹介しつつ、法の偉大さと信心について述べることにしました。

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一周忌法要での挨拶 烏竜遺竜故事(おりょういりょうのこと)より

本日は、上野尼御前御返事で示された「烏竜と遺竜の故事」から、追善回向のご指導を確認させていただきます。

(ここから故事記述↓)

烏竜と遺竜の故事とは-。

昔、中国随一の書道家に烏竜という人が居て、その子供の遺竜も父に負けず劣らずの書道家でした。

烏竜は、法華経を目の敵にしていて、臨終の時、遺竜に、けして法華経を書いてはいけないと遺言を残して亡くなり、地獄に堕ちてしまいます。

亡くなった時の父・烏竜の姿は、「五根より血の出ずる事・泉の涌くが如し・舌八つにさけ・身くだけて十方にわかれぬ」であったといいます。

ところが後日、国王の度重なる命令で、息子の遺竜は法華経の題字を嫌々ながらも書くはめに陥ります。そして、親不孝の科に苦しんだ遺竜は、父・烏竜の墓前で三日間断食した後、生死をさ迷い、気を失ってしまいます。

すると、夢に父・烏竜が現れて、遺竜の書いた法華経の文字が仏となって、地獄に堕ちた自分を救い、成仏することが出来た。ということを知ります。その父の姿は、帝釈天を絵にかいたようであったといいます。

遺竜は、法華経を信じないで書いた自分の文字が、どうして父を救ったのかと聞きます。

すると、父・烏竜は答えます。

「おまえの手は我が手である。おまえの身は我が身である。おまえが書いた字は我が書いた字である。おまえが心に信じていなくても、手で書いたゆえにこうして助かったのである。譬えば、子供が火をつけると、焼く気はなくても、物を焼くようなものである。法華経もまたそれと同じである。殊の外に信じたならば、必ず仏になる。またその義を知って、謗ることがあってはならない。」

(ここまで故事記述↑)

というのが、故事のあらすじですが、法華経とはそれほど凄い御経であると、大聖人は仰せになっています。

ましてや、末法の法華経である南無妙法蓮華経を信じて唱え、広宣流布を行じる功徳がいかに大きいか。故に、その功徳は、追善回向によって、亡き人を必ず成仏させるのである。

これが、この御書での大聖人のご断言であります。

私どもは、毎日の勤行でも、追善回向を行っていますが、このような御法要の席に際し、改めて、法華経の信心の偉大さを確認・賛嘆申し上げ、共々に前進して参りたいと思います。

本日は大変にありがとうございました。

<以上、挨拶終了>

烏竜遺竜事(上野尼御前御返事)は平成27年7月度の座談会御書としても講義しています。

上野尼御前御返事の講義 烏竜遺竜事 7月度座談会御書

烏竜と遺竜の故事の引用・参考資料

上野尼御前御返事で示される「烏竜と遺竜の故事」の御書本文

『これよりひつじさるの方に大海をわたりて国あり・漢土と名く、彼の国には或は仏を信じて神を用いぬ人もあり・或は神を信じて仏を用いぬ人もあり・或は日本国も始は・さこそ候いしか、然るに彼の国に烏竜と申す手書ありき・漢土第一の手なり、例せば日本国の道風・行成等の如し、此の人仏法をいみて経をかかじと申す願を立てたり、此の人死期来りて重病をうけ臨終にをよんで子に遺言して云く・汝は我が子なり・その跡絶ずして又我よりも勝れたる手跡なり、たとひ・いかなる悪縁ありとも法華経をかくべからずと云云、然して後・五根より血の出ずる事・泉の涌くが如し・舌八つにさけ・身くだけて十方にわかれぬ、然れども一類の人人も三悪道を知らざれば地獄に堕つる先相ともしらず。

其の子をば遺竜と申す又漢土第一の手跡なり、親の跡を追うて法華経を書かじと云う願を立てたり、其の時大王おはします司馬氏と名く仏法を信じ殊に法華経をあふぎ給いしが・同じくは我が国の中に手跡第一の者に此の経を書かせて持経とせんとて遺竜を召す、竜申さく父の遺言あり是れ計りは免し給へと云云、大王父の遺言と申す故に他の手跡を召して一経をうつし畢んぬ、然りといへ共御心に叶い給はざりしかば・又遺竜を召して言はく汝親の遺言と申せば朕まげて経を写させず・但八巻の題目計りを勅に随うべしと云云、返す返す辞し申すに王瞋りて云く汝が父と云うも我が臣なり親の不孝を恐れて題目を書かずば違勅の科ありと勅定度度重かりしかば・不孝はさる事なれども当座の責を・のがれがたかりしかば法華経の外題を書きて王へ上げ宅に帰りて父のはかに向いて血の涙を流して申す様は・天子の責重きによつて亡き父の遺言をたがへて・既に法華経の外題を書きぬ。

不孝の責免れがたしと歎きて三日の間・墓を離れず食を断ち既に命に及ぶ、三日と申す寅の時に已に絶死し畢つて夢の如し、虚空を見れば天人一人おはします・帝釈を絵にかきたるが如し・無量の眷属・天地に充満せり、爰に竜問うて云く何なる人ぞ・答えて云く汝知らずや我は是れ父の烏竜なり、我人間にありし時・外典を執し仏法をかたきとし、殊に法華経に敵をなしまいらせし故に無間に堕つ、日日に舌をぬかるる事・数百度・或は死し或は生き・天に仰き地に伏して・なげけども叶う事なし、人間へ告げんと思へども便りなし、汝我が子として遺言なりと申せしかば・其の言炎と成つて身を責め・剣と成つて天より雨り下る、汝が不孝極り無かりしかども我が遺言を違へざりし故に自業自得果・うらみがたかりし所に・金色の仏一体・無間地獄に出現して仮使遍法界・断善諸衆生・一聞法華経・決定成菩提と云云、此の仏・無間地獄に入り給いしかば・大水を大火に・なげたるが如し、少し苦みやみぬる処に我合掌して仏に問い奉りて何なる仏ぞと申せば・仏答えて我は是れ汝が子息遺竜が只今書くところの法華経の題目・六十四字の内の妙の一字なりと言ふ、八巻の題目は八八六十四の仏・六十四の満月と成り給へば・無間地獄の大闇即大明となりし上・無間地獄は当位即妙・不改本位と申して常寂光の都と成りぬ、我及び罪人とは皆蓮の上の仏と成りて只今都率の内院へ上り参り候が・先ず汝に告ぐるなりと云云、遺竜が云く、我が手にて書きけり争でか君たすかり給うべき、而も我が心より・かくに非ず・いかに・いかにと申せば、父答えて云く汝はかなし汝が手は我が手なり・汝が身は我が身なり・汝が書きし字は我が書きし字なり、汝心に信ぜざれども手に書く故に既に・たすかりぬ、譬えば小児の火を放つに心にあらざれども物を焼くが如し、法華経も亦かくの如し存外に信を成せば必ず仏になる、又其の義を知りて謗ずる事無かれ(御書全集1580ページ13行目から1582ページ10行目まで)』

上野尼御前御返事で示される「烏竜と遺竜の故事」の現在語訳

この日本より西南の方に向かって大海を渡ると国があります。漢土と名づけます。彼の国には、あるいは仏を信じて神を用いない人もいます。あるいは神を信じて仏を用いない人もいます。あるいは日本国も初めはそうでありました。

ところがその国に鳥竜(おりょう)という書家がいました。漢土第一の書き手でありました。例えば日本国の小野道風、藤原行成等のような人でありました。この人は、仏法を嫌って経文は書かないという願いを立てました。

この人は、死期が来て重病となり、臨終のときに子に「おまえは私の子である。私の跡をついで絶やさぬ者であり、また私よりも勝れた手跡である。たとえ、どのような悪縁があっても、法華経を書いてはならない」と遺言しました。そうしたのちに、五根から血が出て泉が湧くようになり、舌は八つに裂け、身体は砕けて十方に分かれました。しかしながら、一族の人々は三悪道を知らなかったので、それが地獄に堕ちる先相とは知りませんでした。

その子は遺竜(いりょう)といいました。また漢土第一の手蹟でありました。親の遺言を守って、法華経は書かないという願をたてました。

その時、司馬氏という大王がおられました。仏法を信じ、ことに法華経を信仰されていたので、同じことなら、我が国の中で手跡第一の者にこの法華経を書かせて、持経にしようと思って、遺竜を召しました。遺竜は「父の遺言があるので、こればかりはお許しください」といいました。

大王は、父の遺言というので、やむなく他の手蹟を召して法華経を写させました。しかしながら、心に叶わなかったので、また遺竜を召して「お前が親の遺言というので、朕(ちん)は無理に経文を写させることはしないが、ただ八巻の題目だけは勅命に従え」といいました。

遺竜が再三再四辞退すると、王は怒って「おまえの父といっても我が臣である。親への不孝を恐れて、題目を書かなければ、違勅の罪となる」と度重なる勅命であったので、不孝はしたくないけれども、当座の責めは免れ難いことであったので、法華経の題目を書いて王へ差し上げました。家に帰って、父の墓に向かって血の涙を流していうには、「天子の責めがおもかったので、亡き父の遺言に背いて、法華経の題目を書いてしまいました」と。

不孝の責めを免れることはできないと歎いて、三日の間墓を離れず、食を断って、もはや命が絶えるほどになりました。三日目の寅の時には、すでに死んだようになり、夢を見ているようでした。

虚空を見ると天人が一人おられました。帝釈天を絵にかいたようでありました。無量の眷属が天地に満ちあふれていました。

そこで遺竜は「あなたはいかなる人ですか」と聞くと、「おまえは知らないのか。私は父の鳥竜である。私が人間であった時、外典に執着し、仏法を敵とし、ことに法華経を敵としたために、無間地獄に堕ちた。日々に舌を抜かれること数百度。或いは死んだり、或いは生きたりした。天を仰ぎ、地に伏して嘆いたけれども願いが叶うことはなかった。人間世界に告げようと思っても方法がない。お前が私の子として『遺言であるので法華経は書写しない』と言ったので、その言葉は炎となって我が身を責め、剣となって天から雨のように降ってきた。おまえの不孝は極まり無かったけれども、我が遺言をたがえないためであるから、自業自得の結果で、恨むことはできないと思っていたところに、金色の仏が一体、無間地獄に出現して、『たとえ世界に満つるほどの善を断じた衆生であっても、一たび法華経を聞けば、必ず菩提を成ずる』と言われた。この仏が無間地獄に入られると、大水を大火にかけたように、少し苦しみが止んだので、私は合掌して仏に『なんという仏様ですか』とお聞きすると、仏は『私は、おまえの子の遺竜がただいま書いたところの法華経の題目六十四字の内の妙の一字である』と仰せられた。八巻の題目の八八六十四の仏が六十四の満月となられたので、無間地獄の大闇は即ち大明となったうえ、無間地獄は『当位は即ち妙にして本位を改めず』といって、常寂光の都と成った。我及び罪人は皆蓮の上の仏となって、只今都率(とそつ)の内院へ上り参るのであるが、まずおまえにこのことを告げるのである」と答えました。

遺竜は「私の手で書いたものが、どうして父君を助けることになったのでしょうか。しかも私は心から書いたものではありません。いったい、どうしてですか」というと、父は「おまえは思慮がたりない。おまえの手は我が手である。おまえの身は我が身である。おまえが書いた字は我が書いた字である。おまえが心に信じていなくても、手で書いたゆえにこうして助かったのである。譬えば、子供が火をつけると、焼く気はなくても、物を焼くようなものである。法華経もまたそれと同じである。殊の外に信じたならば、必ず仏になる。またその義を知って、謗ることがあってはならない。

(以上、「烏竜と遺竜の故事」の現在語訳)

以上です。