学会活動

役割の認識と役職における責任の自覚(一念に納めたる功徳善根)

責任職とは何でしょう。

世間一般では、管理職=(イコール)責任職といった使われ方をします。管理職には必然的に大きな責任が伴いますが、役職名が管理職に該当しても、時に「肩書き」に終わるケースがないではありません。

悲しいかな、責任を全うしない管理職のために、平社員が懸命に動き回るといったケースも多々見受けます・・。

創価学会での役職は全て『責任職』であると言われます。

会社における責任職は、職業における担当であり勤めですが、創価学会においては、職業ではなく、【職】そのものの「担当する」「つとめる」という意味が妥当であろうかと思います。いずれにしろ、「責任を担って勤める役職の人」ということになると思います。

創価学会第二代会長の戸田先生は、学会の役職を受けるに際しては、『”仏意仏勅によって賜った”と受け止め、全身全霊で責任を果たしていくべきである』とご指導されています。

創価学会の役職者は兼務も多く責任職として多忙

創価学会は宗教団体であり組織をもって運営されています。したがって、基本的に縦に下位から上位へ各役職が存在します。そして、それぞれに、自身の役職の役割を認識して行動しています。その点、世間の役職者を凌駕する自発的な「役職意識」を備えていらっしゃいます。

また、学会の役職では、上位の役職者ほど「兼務」が多くなって参ります。

縦の組織としの役職のみならず、各部における役職や会員の状況に応じた各種グループの役職、さらには、時に応じて開催される大会・イベントでの役職など、多種多様な役割を兼務するケースが多く、実に多忙であります。

こういった中、役職者(幹部とも言われる)は、任命を受ける段階から受持する信仰に対する思いと同様に「信仰は権利である」との自覚で、積極的に任務に取り組んでおられるのです。

CSRをリードする創価学会の役職者(責任職)

世間一般の企業において、変わることなく問題となっているのが、社員の「役割意識が希薄」であることだと言われます。中堅社員研修でのテーマで重視されているのも「役割意識の強化」であるという事実があります。

実はこの「役割意識」という問題は、一従業員の問題に留まらず、管理職はじめ企業全体にも影響する大きな問題なのであります。

企業が社会と共に発展していく為に、企業が社会に対して責任を果たして行こうという活動に「CSR」というものがあります。では、何をもって責任を果たしていくのか。どういった役割を認識すべきなのか。それが永年の課題となっていて、これは国際的なグローバルな運動なのであります。

こういった世の中の動きの中、創価学会の役職者は強く自ら役割を自覚して組織の発展に寄与。組織はその目的を着々を遂行しています。

まさに、創価学会の組織と役職者のあり方は、「CSRをリードする」ものであると言えるのではないでしょうか。

責任職を全うすれば一切が功徳善根に福徳に

私たち創価学会員の活動は、全て広宣流布につながっています。会合の参加はもとより、その連絡一つ、また、一言でも励ましの手紙やメモを書くことも、全て自身の福運となっています。

しかしながら・・こうした活動は、あまりにも地道であり些細と感じられるかもしれません。多忙で疲れていればなおさらのこと、時に、岩に爪を立てるかのような心境になることがあるかもしれません。

しかし、御書には次のように仰せです。

『然る間・仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり(御書:一生成仏抄 383ページより)』
通解⇒「したがって、仏の名を唱え、経巻を読み、華を供え、香をたくことまでも、全て自分自身の一念に功徳・善根として納まっていくのだ、と信心を起こしていきなさい」

そして、池田SGI会長は次のように指導されています。

「勤行・唱題は当然として、総じて、仏法のため、広宣流布のための行動は、どんなにささやかに見えることでも、一切がそのまま我が生命の功徳善根となっていく。御本尊に通じ、広宣流布に通じゆく労苦は、すべて自身の『福運』に変わる。『歓喜』に変わる。妙法の世界には、いささかの無駄もない」と。

一番大変な時、まことの時こそ、お題目根本に、自身の人間革命と宿命転換を果たして参りましょう。