座談会

12月度座談会御書・阿仏房尼御前御返事をわかりやすく講義!いよいよ信心をはげみ給うべし

2024年12月度の座談会拝読御書は、阿仏房尼御前御返事(あぶつぼうのあまごぜんごへんじ)です。「いよいよ信心をはげみ給うべし」から始まる一節となっています。

 

仏法を語り抜く勇者に恐れなし!その勇気は自身の仏性を信じ抜く確信の唱題から。また、「よしにくまばにくめ」と非難中傷を悠然と見下ろす境涯で、「如説修行の行者」の誇りを胸に前進。この息吹を身にたいする為に研鑽して参りましょう。

 

この記事では、座談会御書の講義担当者を念頭に、わかりやすくをモットーに、また、戦いの所感も交えて研鑽内容をまとめています。ご参考にして頂ければ幸いです。

阿仏房尼御前御返事の背景と大意の講義

 

本抄は建治元年(1275年)9月3日、日蓮大聖人が54歳の時に身延で著され、佐渡の阿仏房の夫人である「千日尼」に与えられたお手紙です。

 

詳細は省きますが、夫の阿仏房は学問の覚えも深い凄い人物で千日尼共々、根っからの念仏の信仰者でした。

その夫妻が流罪の身となっていた大聖人に帰依するやいなや、大聖人に敵対し命をも狙う念仏者たちの中、その目を盗んでは、食物をお届けしお護り申し上げました。

 

しかし、これが発覚し、阿仏房夫妻は、住まいを追われ罰金さえ科せられたといいます。

 

それでもなお、佐渡の門下の中心者として活躍し、流罪赦免後も、身延の大聖人の下へご供養の品を届けられています。

 

本抄では、自らが信仰した念仏の謗法の重さを伺う千日尼に対し、法華経の信心で皆成仏出来るが、謗法を破折屈服しゆく折伏行が不可欠であると厳しく申され、益々信心に励むよう激励されています。

阿仏房尼御前御返事の拝読範囲と講義

 

以下、本文拝読の御文を参加者全員で音読しました。

 

いよいよ信心をはげみ給うべし。仏法の道理を人に語らん者をば、男女僧尼必ずにくむべし。よしにくまばにくめ、法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をまかすべし。「如説修行」の人とは、これなり。(新版御書:1730頁14から16行目・御書全集:1308頁4行目から5行目)

 

まず、拝読範囲の現代語訳を拝読し、説明・講義を続けました。

 

ますます信心に励んでいきなさい。仏法の道理を人に語っていく者を、在家の男女・出家の僧尼、すなわちあらゆる人が必ず憎むにちがいない。よし、憎むなら憎むがよい、法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安などの金言に身を任せなさい。「如説修行」の人とは、こういう人をいうのである。

 

つまり、いかに丁寧に道理を尽くして語っていっても、正法であるが故に必ず誹謗中傷される。それは、仏法の道理からわかり切っている事なのだから、言わせておきなさい。

釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安などの正法時代・像法時代の法華経の正師の教えどおりに、末法に於いて折伏を実践する人を如説修行の人という。と、仰せになられています。

 

「よしにくまばにくめ」の仰せには、大聖人の全民衆を救ってみせるとの大慈悲が拝されます。

というのも、大聖人御自身、信頼していた同門の弟子に裏切られており、そういう末法という時代の様相も十分にご存じであるが故に、このお言葉はなおの事、重く感じられます。また、千日尼への厳しいご指導も心に染み入るばかりです。

そして、現代において、現実に何があっても折伏行を貫く存在は、創価学会・SGIをおいて他に存在せず、まさに真の創価の友こそが、「如説修行の人」であることは間違いありません。

 

池田先生は大百蓮華51ページ上段で、「私たち学会員が行う折伏とは、一人の友と一緒に人間革命していく聖業です。」と申されています。また、「正法を語って悪口罵詈されることは最高の名誉」とも。

 

「悪口罵詈されることは最高の名誉」とのお言葉にはまた背景に、生命は永遠であり、妙法(正法)の力用は宇宙大であるという仏法が明かす真相が伺えます。世間の非難中傷など、「あまりに些細(ささい)」な事なのです。

 

悪世末法に生きる私たちは無明に覆われた迷いの多い存在です。しかし、信じられないことですが、そんな私たちの生命には仏の生命が、宇宙調和の法則が、確実にっ具わっています。

そして、その仏性の存在を信じて唱題し、折伏行に挑む時、自身に内在する仏・菩薩・諸天の働きが動き出し、全宇宙の仏・菩薩・諸天の働きと感応して、必ず自身は護られていくのです。

 

折伏行に今一つ踏み切れない自身の発心と決意表明

 

末法に於いて、折伏行が不可欠であることはわかっているつもりですが・・。折伏って大変・・なかなかちょっと・・。以降は、そんな私自身の命への問いかけです。

 

とりあえず、日々、なんとかなっていても、心の奥に運命・宿命ともいうべき悩みを抱え続けてはいないでしょうか?

ご観念文に「自身の人間革命と宿命転換を祈り」とありますが、宿命転換を果たすには、折伏行は不可欠ですね。

せっかく妙法に巡り合えたのに、宿命転換を果たし、本当の人生の醍醐味を知らずして死んで行って良いものか?と、自分に言い聞かせています。

 

さて、創価学会・SGIへの誹謗中傷は仏説のごとく、過去も現在も続いていますが、昨今、SNSを使った影響の大きさが物議となっています。

SNSの影響がもたらした負の側面とは、故なき誹謗中傷は無論ですが、配信者の生き方・捉え方にあります。人にどう思われたいか。どうみられたいか。どう評価されたいか。という周囲に翻弄された姿勢が、ますます拡大してしまっています。

 

そうではなく、信念と哲学に基づいて、人に何と言われようが、自分自身はどう行動していくか。自他共に、いかに価値ある人生を築いていくか。それが創価の折伏・仏法対話です。

 

最期に、今回の御書を拝読し、自身に課したスローガンを申し上げます。

 

「目前の苦悩を嘆く唱題よりも 折伏の障魔を破る唱題を」

 

以上。ご静聴ありがとうございました。

唱題による勇気で折伏にチャレンジし冥の照覧や内薫外護で陰徳陽報の実証を!

 

陰徳陽報、つまり、陰徳あれば陽報ありとは、人の目にしない陰での努力や善行は、目に見える良き報いとなって現れる、ということですが、世の現実はけしてそうではありません。

いくら頑張っても、評価が得られず、努力もせず要領の良い人間が得をする。そんなことがい多いのが世の中ではないでしょうか。

 

しかし、自身に内在する仏性を信じて唱題し、勇気を湧きいだして折伏行を実践すれば、「冥の照覧」があり「内薫外護」の働きによって、必ずや陰徳陽報は現実のものとなります。

 

冥の照覧(みょうのしょうらん)とはーー▼

仏・菩薩や諸天善神が一切衆生の心や振る舞いをすべて見通して知っていること。「冥」とは顕に対する語で、通常は見えないが確かにあるものをいう。「照覧」とは、明らかに照らし見ること。「持妙法華問答抄」(466㌻)で日蓮大聖人は、持たれる法が第一ならそれを持つ人もまた第一であり、その人を謗ることは法を謗ることになると仰せである。そして、当時の人々がいかに表面上は仏法を尊んでいるようでも、その法を持つ人(法華経の行者、すなわち大聖人)を謗っていることは、すべて仏・菩薩が見通している。その冥の照覧に対して恥ずかしく思わないのかと厳しく戒められている。

 

内薫外護(ないくんげご)とはーー▼

妙楽大師湛然の『止観輔行伝弘決』巻4の文に基づく語。あらゆる衆生に内在する仏性・真如が開き現れ生命に薫習して覚りを生じていく力になることを内薫といい、この内薫の力が迷いの衆生を護り助ける働きになることを外護という。御書に「内薫外護と申す大なる大事」(1170㌻)と仰せである。

 

阿仏房についてーー▼

阿仏坊日得(あぶつぼうにっとく、阿仏房とも)は鎌倉時代における、日蓮宗の信徒。

順徳天皇に仕え、従四位上に叙せられる。和漢の学に通じ、歌道にも上達していた。承久3年(1221年)に承久の乱により佐渡島に流された天皇に従って、仁治3年(1242年)に崩御するまで側近く仕える。その直後に妻である千日尼(せんにちに)とともに剃髪し、30年間も天皇の陵に廬を結んで住む。もともと浄土宗を深く信仰し、念仏怠りなく、自ら「阿仏坊」と号していたが、文永8年(1271年)の冬に日蓮が佐渡に流され、塚原に潜んでいたところを訪問し、日蓮の説を聴き、妻とともに浄土宗を棄てて84歳で弟子となる。文久11年(1274年)に日蓮が鎌倉を経て甲斐に隠栖すると、遠くにありながら三度、身延山を訪れては日蓮の説法を聴いていた。弘安元年(1278年)に90歳の身で登山した際に、日蓮は大いに感激して「日得」の名を与えた。その翌年に寂す。

引用先:日得 – Wikipedia

 

【その他関連事項】

しかれば、久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我ら衆生との三つ全く差別無しと解って妙法蓮華経と唱え奉るところを、生死一大事の血脈とはいうなり。(生死一大事血脈抄|新版御書:1774頁)

 

ここで言う、「唱え奉る」とは、折伏のための唱題に他ならないと思いますがいかがでしょう。