日蓮大聖人の仏法は、「人間としての勝利」を教えた宗教です。故に、大聖人の仏法を信仰する上で、仏法を根本とした智慧と生命力で人々の信頼を勝ち取っていく振舞い(実践!)が重要となるのです。
功徳(くどく)
南無妙法蓮華経という、最高の法を正しく持(たも)てば、題目の力によって、諸天善神の働きに守られ、師子王のような恐れを知らない境涯でいることができます。
『此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや(中略)いかなる処にて遊びたはふるとも・つつがあるべからず遊行して畏れ無きこと師子王の如くなるべし(経王殿御返事 御書1,124ページ)』と仰せです。
また、幸福をあらゆるところから招き寄せることが出来るのです。
『法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし(十字御書 御書1,492ページ)』との御金言があります。
以上が、日蓮大聖人の仏法の功徳(功徳)の現証です。
罰(ばち)
反対に、仏法を誹謗し、因果の理法に反すれば、生命に悪因を刻み、生活上で罰の現証があらわれます。
現証については「三証(さんしょう)とは 任用試験の教学入門」を参照。
▲任用試験の「功徳と罰(信仰と実践)」は以上を覚えれば合格!▲
功徳についての池田先生のスピーチ
釈尊は、法華経の「法師功徳品」において、妙法をたもつ人は、その功徳として、生命が清浄になることを説いている。また日蓮大聖人は、功徳について、「悪を滅するを功せ云い善を生ずるを徳と云うなり(御義口伝巻下 御書762ページ)」と仰せである。
功徳の「功」は、悪を滅するとの意義がある。生命の濁りを滅し、清らかな生命を得る――これほど本源的な功徳はない。生命の悪、濁りを滅しなければ、本当の幸福はつかめない。だからこそ、悪とは戦わなければならない。
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