学会活動

【創価学会】池田華陽会の名称(名前)の由来は?結成はいつからで活動内容とは何か気になる!

創価学会の機関紙・聖教新聞や機関月刊誌の大百蓮華でも良く見かける「会、グループ?」に、「池田華陽会(いけだかようかい)」というのがあります。

会館任務等の人材グループに、男子部では創価班や牙城会があり、女子部の場合は白蓮グループです。

ではいったい、「池田華陽会」とは?

女子部(未婚女性)の集まりであることは確かですが、いったい、いつから存在するグループで名前(名称)の由来は何か、また、どんな活動をしているのかについて調査してみました。

最後までご覧頂けるとうれしいです。

【創価学会】池田華陽会の名称(名前)の由来は?

池田華陽会では“つながるプロジェクト”を通して、縁する全ての方々へ、真心の対話に挑戦してきました。

聖教新聞:地方版

 池田華陽会1期生の誇りを胸に、華陽姉妹と新たな決意で進んでいます。先月、知人に対話し、聖教新聞の購読を推進できました。池田先生、両親への報恩感謝を忘れず、縁する人に希望を送るリーダーに成長します。

聖教新聞:地方版

私の決意
総岡山池田華陽会委員長 杉原みずきさん

聖教新聞:地方版

 

上記は最近の聖教新聞からの抜粋ですが、「池田華陽会」というグループ名らしき名称が頻繁に登場しています。何か、創価学会の中でも、活動家の方々の集まりのようなイメージですが・・。

その実態も含め、会の名称やその由来・いわれがどこから来ているのか気になるところです。

男子部の人材グループに「牙城会」「創価班」があり、女子部には「白蓮グループ」なるものがありますが、こちらの場合、会館で任務に就く人材グループです。では、「池田華陽会」とは?

さっそく調査してみました。

【創価学会】池田華陽会の名称(名前)の由来は?いつから呼ばれ使用されてるか気になる

池田華陽会という名称が創価学会の何かの集まりの呼び名であることは間違いありませんが、大きな組織の創価学会にあって、どういった種類の集まりなのか確認してみたいと思います。

まず、組織系統の中でも、全国地域ごとの大小組織名があります。創価学会本部以下、各県市区町村の末端に至るまで、きわめて簡単に申せば、都道府県名以下、圏・本部・支部・地区・ブロックと降りて行き、それぞれに〇〇支部・□□地区と地域割り組織に名称があります。また、性別・年代別に、壮年部・婦人部・女子部・男子部・学生部・未来部といった組織割が存在します。さらに、これら各部には、特に男女青年部については、「人材グループ」と称して、牙城会・創価班・白蓮グループなどの集まりがあります。

創価学会での「集まり」は、上記には収まらず、地域組織や部別・人材に所属しながらも、「様々な活動上の記念となる日」から発足した、〇〇兄弟会等々の集まりも存在し、全国つづうらうら、その数には限りが無いほどです。

こういった事情の中、2022年3月14日現在、「池田華陽会」とは、「創価学会員の20代の女性全般」を指しての名称であり、その年代の女性にふさわしい会合や活動が展開されている。ということが判りました(注:これに伴い、婦人部と女子部は「女性部」に併合されています)。

では、「池田華陽会」という名称はどんな由来があって命名されたのでしょう。創価学会の中で、「華陽会」という名称が現れるのは、第二代戸田城聖会長の時代です。以降、「池田華陽会」の名称が使われるようになるまでの経緯は、以下のとおりでした。

  1. 1952年秋:女子部の人材グループ「華陽会」が、戸田第二代会長によって結成される。
  2. 2008年3月16日:「広宣流布記念の日」50周年に女子部に人材グループ「池田華陽会」が発足。
  3. 2008年5月1日:「池田華陽会」が結成。
  4. 2008年9月:「世界池田華陽会」が結成(創価学会インタナショナルの国々の女子部も加わる)。
  5. 2009年6月4日:「世界池田華陽会の日」が制定される(「女子部 永遠の五指針」、「池田華陽会 永遠の五指針」が発表される。)。
  6. 2021年4月:第3回本部幹部会・婦人部希望総会の席上、婦人部と女子部を一体とした『女性部』の発足が発表される。
  7. 2021年5月3日:「婦人部」の名称が変更され、「女性部」として新出発。
  8. 2021年11月18日:新女性部が始動。女性部に女子部が加わり、新・女性部が始動する(20代までを「池田華陽会」・30代から40代を「ヤング白ゆり世代」とする)。

一騎当千の女子部の活動家により、人材グループとして出発した「華陽会」が、池田第三代会長の時代に「池田華陽会」としてさらなる前進をして、その流れは、SGI・世界の女子部にまで拡大。

そして昨年(2021年)の女性部発足を経て、今、創価学会の全女性の中の「20代の女性」のメンバーを指す名称となっています。

以上のように、「池田華陽会」の名称の由来は、戸田先生の「華陽会」が淵源ですが、戸田先生の遺志を継いだ池田先生のお歌「美しき 華の心に 燦々と 太陽かがやき 君らを包まむ」にも、命名した理由はあきらかです。

【創価学会】池田華陽会の名称(名前)の由来は?創価学会女子部の躍進も確認!

戸田先生が結成された「華陽会」が池田先生の時代に「池田華陽会」となった過程には、広宣流布の進展に青年部・女子部の活躍があったことは銘記すべき点です。前項の「池田華陽会」の流れを詳しく見て参ります。

1952年秋:女子部の人材グループ「華陽会」が、戸田第二代会長によって結成

1952年(昭和27年)の秋、戸田先生によって結成され、手づくりで育まれた女子部の人材育成グループが「華陽会」です。

1958年(昭和33年)4月、戸田先生が逝去された時の女子部は部数38でした。それが、1カ月後の5月3日には、新任の女子部長の誕生とともに、50の部へと拡大。それから2年後の1960年5月3日、池田先生が第三代会長に就任した時には、108部へと大発展を遂げています。以降、創価学会は、池田第三代会長の指揮の下、国内のみならず世界へと発展を遂げていきます。

2008年3月16日:「広宣流布記念の日」50周年に女子部の「池田華陽会」が発足

2008年3月16日、「広宣流布記念の日」50周年に女子部に人材グループ「池田華陽会」が発足し、同年5月1日には結成へ。その折、池田先生は「広宣流布の第二幕を開きゆく、師弟不二の若き花のスクラムが完全に出来上がった。この創価の姉妹の連帯は、今回のメンバーを第一期生として、さらに第二期生、第三期生と、美しく尊く、滔々たる人材の大河となって、流れ通っていくに違いない。その実像は、まことに気高く麗しい」と申されています。

2008年9月には、SGI(創価学会インタナショナル)の国々の女子部も加わり、「世界池田華陽会」へと拡大。また、2009年6月4日、池田先生と奥様が東京・信濃町の創価女子会館を初訪問されて、「女子部 永遠の五指針」・「池田華陽会 永遠の五指針」を発表されました。そして、この日(6月4日)が「世界池田華陽会の日」に制定されました。

「女子部 永遠の五指針」、「池田華陽会 永遠の五指針」とは以下のとおりです。

  1. 「朗らかな幸福の太陽たれ」
  2. 「世界一の生命哲学を学ぶ」
  3. 「何があっても負けない青春」
  4. 「正義と友情の華の対話を」
  5. 「永遠に師弟勝利の門を開く」

池田華陽会は女子部人材グループから女性部20代のメンバーの呼称へ

第3回本部幹部会・婦人部希望総会の席上にて、婦人部と女子部を一体とした『女性部』の発足が発表される(2021年4月19日付の聖教新聞紙上で掲載)。

2021年5月3日は「創価学会の日」「創価学会母の日」。戸田城聖先生の第2代会長就任から満70年、池田大作先生の第3代会長就任からは61年。その今日本日から、「婦人部」の名称が変更され、「女性部」として新出発する旨が聖教新聞紙上に掲載されました。

2021年11月18日、「11・18」を期して女子部が加わり、新・女性部が始動する旨の発表が、聖教新聞紙上にて掲載。20代までを「池田華陽会」、30代から40代を「ヤング白ゆり世代」とし、全世代の女性の連帯を育む体制が強化されたとしています。

まとめ

池田華陽会の名称の由来(いわれ)についてまとめて参りました。時代の趨勢を強く感じる次第です。

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