御書

3月度座談会御書講義 弥三郎殿御返事(2023年)ただひとえに思い切るべし

2023年3月度の座談会拝読御書は、「弥三郎殿御返事」です。

読み:やさぶろうどのごへんじ

この記事では、「弥三郎殿御返事」の拝読範囲の研鑽や講義のために、御文の通解や仏法用語及び池田先生の指導などを参照しながら、重要なポイントをおさえてまとめています。

「弥三郎殿御返事」での「ただひとえに思い切るべし」との日蓮大聖人の仰せこそ、肝に命ずべき要点です。

また、「わが誓願を果たす時は『今』」・「広布史の輝く不滅の金字塔を!」という点を研鑽で銘記して参りましょう。

「唯一無二の信こそ仏道修行の要諦」・「自行化他の唱題行で境涯を開こう」「仏法の根本は信をもって源とす」ということを、研鑽によって銘記して参りましょう。

なお、各月の座談会拝読御書は、大百蓮華に掲載されるほかに、観点を変えた解説が「聖教新聞」にも掲載されますので、その掲載日や概要もお知らせしています。

(2023年3月度)座談会御書「弥三郎殿御返事」の背景と大意

今回拝読する座談会御書「弥三郎殿御返事」の概要について述べています。

  • 日蓮大聖人が著された時期(年代):建治3年(1277年)8月4日。(御年56歳)
  • 日蓮大聖人がお認めの場所:身延(みのぶ)
  • 本抄を与えられた人物:弥三郎へ。

弥三郎殿御返事の背景

本抄を与えられた「弥三郎」については、詳細は判っていませんが、何らかの事情で、在家でありながら、「念仏僧との法論」を行うことになった事情の人物と思われます。

また、大聖人は弥三郎に対して「所領を惜しむのではなく」と言われているので、「教養のある武士(武家)」であったと思われますね。

この当時、弥三郎のみならず、主要な門下も難の渦中にあるという状況でした。

  • 建治3年5月:南条時光に周囲の圧迫があり、大聖人は「上野殿御返事(梵帝御計らいの事)」を認め激励。
  • 建治3年6月:四条金吾は讒言により主君から「法華経を捨てよ」と命じられ、大聖人は主君に宛て、「頼本陳情」を認められる。

※ 池上兄弟も父親の反対から窮地にありました。

そして、大聖人は、法論に挑む弥三郎に対し、どれほど大きな広布の使命があるかを教えられています。

弥三郎殿御返事 全体の大意

<弥三郎殿御返事・前半>

日本国の人々は、主師親の三徳を具えた釈迦仏を差し置き、阿弥陀仏を信仰しているが故に飢饉・疫病の大苦を招いたとし、その真実を訴えた大聖人を流罪・死罪に処するとは転倒していると指摘。

<弥三郎殿御返事・後半>

弥三郎が臨む法論の内容を想定して、破折の仕方を具体的に言及。この法論が人生の勝負の分かれ目であると強調し、所領等を惜しむのではなく、「ひとえに思い切るべし」と仰せです。
さらに、今まで生きて来たのはこの事(この法論)の為であり、いかなる難があろうとも信心を貫き通すようご指導されています。

今回の拝読カ所はこの後半の一部分となります。

弥三郎殿御返事の講義と2023年3月度座談会御書の研鑽

今回拝読する座談会御書「弥三郎殿御返事」の拝読範囲はーー

  • 御書新版:2085ページ7行目~9行目。
  • 御書全集:1451ページ10行目~12行目。

弥三郎殿御返事の本文(拝読範囲)

「ただひとえに思い切るべし。今年の世間を鏡とせよ。そこばくの人の死ぬるに、今まで生きて有りつるは、このことにあわんためなりけり。これこそ宇治川を渡せし所よ。これこそ勢多を渡せし所よ。名を揚ぐるか、名をくだすかなり。(御書新版:2085ページ7行目~9行目より引用)」

弥三郎殿御返事の通解(拝読範囲)

ただひとえに思い切りなさい。今年の世間の様子を鏡としなさい。多くの人が死んだのに、自分が今まで生きながらえてきたのは、このこと(法華経ゆえの難)に遭うためである。
これこそ宇治川を渡す所だ。これこそ勢多川を渡す所だ。名を上げるか、名を下すかである。

弥三郎殿御返事の講義とポイント及び解説

弥三郎と共に主要な門下が難の渦中にあったこの時期は、蒙古襲来から3年が経過し、再度の襲来に恐れる中、疫病の蔓延で多くの人々が命を落とすという騒然たる世情にありました。

拝読範囲では、こういった世情の中で、法論に臨む心構えと要諦を訴えられています。

その要諦とは「ただひとえに思い切るべし」と、強情な一念に立つことを教えられています。

強情な一念の捉え方として。

疫病などで多くの人が亡くなる中、いままで弥三郎殿が生きて来られたのは「この法論に臨む為」であるとされています。

また、強情な一念の在り方について、宇治川・瀬田川の例を挙げられています。宇治川も瀬田川も対抗勢力がぶつかり合う戦闘の要衝で、勝つか負けるかの決戦場です。

この決戦に勝って名を揚げるか、負けて下すか、それ程の覚悟で法論に臨みなさいと言われています。

広宣流布の戦いにあって、弥三郎の臨む法論にいかに大きな使命があるか。またこれこそ、戦いの「正念場」であり「急所」であると仰せです。

自身の人間革命と宿命転換を大きく達成できる広布の戦いにあっては、断じて勝つ、断じて我が使命を果たし抜く、との決定した信心の一念に立つことが肝心なのです。

  • わが誓願を果たす時は『今』
  • 広布史の輝く不滅の金字塔を!

弥三郎殿御返事での池田先生の指導及び所感・感想・決意

広宣流布の戦いの「正念場」・「急所」と相対する時の信心の一念の在り方について、池田先生は次のように指導されています。

「今ここ」が、広布の突破口を開く決戦場であり、自身の宿命転換の正念場であるーーこう自ら決めて祈り、行動するとき、必ず勝利の道は開かれます。

大変な戦いの時こそ大転換のチャンスだと覚悟し、喜んで挑んでいくのが本当の勇者であり、賢者の生き方です。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第13巻 より)

目前の問題や困りごとは乗り越えられても、経済苦、病苦、人間関係など、宿命から来る大きな苦しみの打破は、個人の幸福のみを念じる一念では不可能です。

広宣流布の大きな「急所」となる「正念場」の戦いに打って出てこそ、境涯は大きく開かれる!

そう確信して、目前の戦いに挑んで参りましょう。

(2023年3月度)座談会拝読御書「弥三郎殿御返事」の聖教新聞での紹介

2023年3月度の座談会拝読御書ついては、2023年3月5日付け】の聖教新聞に、紹介記事が掲載されています。

 (日蓮)大聖人は、「思い切れ」と仰せです。同じ戦うのなら、「断じて勝つ」と腹を決めて戦い切るのです。人は敵と戦う前に、己心の弱さに負ける。何よりもまず、その心中の賊に勝たねばならない。とともに勇気と蛮勇は違う。現実と真正面から向き合うところに真の勇気があります。そこから今、何を為すべきか、明瞭に見えてくるのです。
 宇治川も瀬田川も、「源平合戦」「承久の乱」など、古来、激しい攻防戦を繰り広げた、歴史に名高い戦場です。ここで競り勝つか、後れを取るか、勝負を決せんと、勇者たちは必死でした。同じく、広宣流布の戦いにあっても、「ここが勝負」という急所がある。(『信仰の基本「信行学」』)

引用先:3月度座談会拝読御書

 

内容としては、

  • [池田先生の指針から]真剣勝負の強盛なる祈り
  • “断じて勝つ”と喜び勇んで戦う!
  • 仏法の力を証明する時
  • 諸天をも動かす行動を

の各項目となっています。

「弥三郎殿御返事」の拝読範囲の捉え方や講義の仕方の参考なると思います。