御書

4月度座談会御書講義 開目抄(2010年)我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば

2010年4月度の座談会拝読御書は開目抄の有名な一節です。研鑽や講義の為のポイントを記しています。

世間の風評や信心に迷う弟子たちの疑問を破折しておきながら、実はそのような破折など論外であるという御境涯です。それは、自らと同じ境涯に立つ、真正の弟子よ出でよ!という獅子吼に他なりません。

開目抄拝読範囲(p234)の本文

我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ 現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけん つたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし

開目抄拝読範囲(p234)の現代語訳

私も、そして私の弟子も、いかなる難があっても疑う心がなければ、必ず仏界に至るのである。天の加護がないからと信仰を疑ってはならない。現世が安穏でないからと嘆いてはならない。私の弟子に朝に夕に教えてきたけれども、疑いを起こして、皆、法華経を捨ててしまったようだ。愚かな者の常として、約束したことを大事な時に忘れてしまうものである。

4月度座談会御書 開目抄(2010年)の講義

大聖人と共にいかなる大難も不退転の信心で貫くならば、必ずや成仏の境涯が確立される、ということを教えられています。

大聖人の『天もすて給え』とは、天の加護なき事を疑はなければ、自然に仏界にいたれるからです。『諸難にもあえ』とは、諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたれるからです。

ところが、いざ、「難が競う」という「まことの時」にその仏法の原理を忘れてしまう弟子たち。大聖人は本抄で、これを戒め、励まされています。この仏法の原理を忘れさせ、退転させるものは悪縁・悪知識に他なりません。

ところが私たちは今、仏勅の和合僧団である創価学会という善知識に包まれています。学会と共に前進するならば、退転とは無縁に、境涯革命を成し遂げられる。このことをけして忘れてはならないと思います。

創価学会第三代、池田先生の会長就任50周年を目前にした今。いよいよ、希望の夏の大勝利に向けて、力強く前進して参りましょう。