運勢・運命と宿命

宿命転換の法理と妙法の実践 運勢・運命は変えられる

人生の苦悩・苦難といわれる苦しみはそれこそ人様々です。

その苦しみの中には、原因がわかっていて改善の余地のあるものもあれば、手のつけられないようなものもあるでしょう。そして、自分は全く悪く無いのに「どうしてこのような苦しみに遭わなければいけないのか?」、「どうしてこんな境遇に生まれてきたのか?」と思わずにはいられないこともあるでしょう。

このような理不尽とも思える苦しみに遭遇したとき、人はこれを運命だから、宿命だからとあきらめの心境に陥ることがしばしばです。

仏法一般の宿命・運命の考え方(捉え方)

仏法一般では、このような運命・宿命的な苦しみは、「過去世」において自身が行った行為の結果が「今世」にあらわれたものと説いています。そしてこの「過去世の行為」のことを「宿業(しゅくごう)」と言い、宿業は善悪両面にわたりますが、ほとんどの場合、苦悩をもたらす悪い過去世の行為が「宿業」と言われます。

その前提として、仏法では「三世の生命」・「三世の因果」を説きます。生命は今世だけのものではなく、過去世・現在世(今世)・未来世(来世)にわたり永遠であり、過去世の行為が因(原因)となって今世の結果と現れ、今世の行為が因となって未来世の果(結果)をもたらすと、ということです。

過去世の悪因は今世の苦果を、善因が楽果をもたらすということです。

苦境にあって、「もうだめか・・」という心境に陥るのみならず、三世永遠の生命の流転の中での「宿業」には計り知れないものがあり、今世で幸せになることは無理・・。

このようなことから三世における宿業の考え方には希望のない宿命論に陥りがちとなってしまいます。

今世での宿命の転換を説く日蓮大聖人の仏法

日蓮大聖人の仏法では、あらゆる悪業を生むことになる根本的な罪業(悪業)の存在を説きます。

この根本的な罪業を「謗法(ほうぼう)」と言います。謗法とは誹謗正法(ひぼうしょうほう)のことで、正法を誹謗することです。そして、正法とは「法華経」のことに他なりません。万人成仏・人間尊敬・自他共に幸福になる方途を説ききった教えこそ「法華経」であるからです。

この法華経(正法)への悪業(不信・謗法)を、正法を守り信じて弘めていく実践によって、転換していけると説くのが、日蓮大聖人の仏法における【宿命転換(しゅくめいてんかん)】の法理です。

正法流布の実践のために、大聖人は「御本尊」を建立されましたが、この御本尊に対する「南無妙法蓮華経」の題目(唱題行)こそが実践の核心であり肝要となってきます。

宿命転換のの要点

仏法一般の宿命論は悲観的で希望の持てないもの。時に嫌世思想にも通ずる。

宿業には「誹謗正法(謗法)」という根源的な「業」が存在する。

唱題行を根本とする正法流布の実践で謗法の罪を消滅し今世での宿命転換ができる。

記事に関連する語句

  • 過去世・現在世・未来世の三世の生命
  • 宿業
  • 謗法
  • 正法流布の実践
  • 宿命転換

宿命転換の記事に関する御書

ご自身の受けている大難は仏教一般の通常の因果ではなく、過去世の法華経誹謗の罪が原因であると言われています。

「日蓮は此因果にはあらず法華経の行者を過去に軽易せし故に法華経は月と月とを並べ星と星とをつらね華山に華山をかさね玉と玉とをつらねたるが如くなる御経を或は上げ或は下て嘲弄せし故に此八種の大難に値るなり、此八種は尽未来際が間一づつこそ現ずべかりしを日蓮つよく法華経の敵を責るによて一時に聚り起せるなり(佐渡御書960ページ)」

南無妙法蓮華経の題目の慧日で降り積もった「罪障」もたちまちのうちに消し去ることができると言われています。

「第四一切業障海皆従妄想生若欲懺悔者端坐思実相衆罪如霜露慧日能消除の事
御義口伝に云く衆罪とは六根に於て業障降り下る事は霜露の如し、然りと雖も慧日を以て能く消除すと云えり、慧日とは末法当今・日蓮所弘の南無妙法蓮華経なり、慧日とは仏に約し法に約するなり、釈尊をば慧日大聖尊と申すなり法華経を又如日天子能除諸闇と説かれたり、末法の導師を如日月光明等と説かれたり。(御義口伝巻下786ページ)」