出題される上野殿後家尼御返事(地獄即寂光御書)の本文
『法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり、天台云く「従藍而青」云云、此の釈の心はあいは葉のときよりも・なをそむれば・いよいよあをし、法華経はあいのごとし修行のふかきは・いよいよあをきがごとし(御書1505ページより)』
通解
法華経の法門を聞くにつけて、ますます信心に励むのを、まことの道心者というのです。天台大師は「藍よりして而も青し」といわれています。この釈の意味は、藍は葉のときよりも、染めれば染めるほど、いよいよ青くなるということです。法華経は藍のようであり、修行が深いのは、藍で染め重ねるにしたがって、ますます青くなるようなものです。
上野殿後家尼御返事(地獄即寂光御書) ご執筆の状況
駿河の国・上野郷(静岡県中央部)門下である、上野尼御前の送られたお手紙です。上野尼御前は南条時光の母にあたります。
尼御前の夫・南条兵衛七郎は、文永2年(1265年)3月に重い病で亡くなりました。日蓮大聖人は苦境の中にある尼御前の心に寄り添って、包み込むように励まされています。
上野殿後家尼御返事(地獄即寂光御書)の要点
法華経は「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」・「地獄即寂光(じごくそくじゃっこう)」の法門であるので、上野尼御前の夫の成仏は間違いないと断言されています。「なをなを信心をはげむを」といあるように、ますます信心に励んでいく人が本当の仏法者であると述べられています。
「修行のふかき」とあるように、信心を深める姿勢について、天台大師の「従藍而青(じゅうらんにしょう)」(青はこれを藍より取りて、しかも藍より青し)ということばを通して教えられています。
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本文中の「従藍而青(じゅうらんにしょう)」とは?
天台大師の『摩訶止観』にある言葉で、「藍よりして而も青し」と読む。中国の思想家、荀子の「青はこれを藍より取りて、しかも藍より青し」を踏まえた言葉。藍は青色の染料となる植物だが、その葉をしぼった染色液は、鮮明な青色ではない。ところが、何度も重ねて染めることによって、色が濃く鮮やかになる。ここでは、修行を重ねて信心をより堅固にし、福徳を現していく譬えとして用いられている。
関連する池田先生の指導
「この日を、広宣流布への記念の節にしていこう。青々とした麦のような青年の季節たる3月に、師のもとに青年部が大結集したことに、不思議な意義があるんだよ」(随筆・人間世紀の光「『3・16』に弟子は立つ:聖教新聞2007年3月16日」より)