日蓮仏法においては、信仰と生活は切り離して考えるものではありません。
信心即生活
「信心即生活(しんじんそくせいかつ)」とは、学校や職場など、生活する場所が、仏道修行の場であり、信心を根本とした自身の生き方を示す場と教えています。
「御[おん]みやづかい(仕官)を法華経とをぼしめせ(檀越某御返事 御書1,295ページ)」と仰せです。
人の振る舞い
仏法の根本目的(出世の本懐:しゅっせのほんかい)は、人間としてどう生きるべきかを示すことにあります。そして、最高の「人の振る舞い」とは、「人を敬う」行動です。
人を敬うとは、万人の生命の中に仏の生命があると信じ、目の前の「一人」を大切にしていく実践のことです。法華経では、万人の仏の生命を敬い、あらゆる人を礼拝していく不軽菩薩(ふきょうぼさつ)の行動が説かれています。
「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ(崇峻天皇御書 御書1,174ページ)」と仰せです。
▲任用試験の「信心即生活・人の振る舞い(信仰と実践)」は以上を覚えれば合格!▲
上記引用の、崇峻天皇御書の前後を含めると以下のように仰せです。
『一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢・穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ(崇峻天皇御書 御書1,174ページ)』
不軽菩薩の実践
法華経の不軽品第二十に説かれる不軽菩薩の実践は、正法弘通の実践の在り方を示しています。
不軽菩薩は、釈尊の過去世の修行の姿で、「二十四文字の法華経」を説き、一切衆生を礼拝し続けました。法華経の経文上の文字数が漢字で二十四文字であることから「二十四文字の法華経」と名づけられました。
二十四文字の法華経
我深敬汝等
不敢軽慢
所以者何
汝等皆行菩薩道
当得作仏
読み下し
「我れは深く汝等を敬い、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」
通解
「私は深くあなたたちを敬い、決して軽んじない。なぜかといえば、あなたたちは皆菩薩の道を行じて成仏することができるからである」
「人の振舞」に
仏法者の真価は表れる。
「さすが」「立派だ」と
周囲から仰がれる
誠実一路の日々を歩め!