2016年 任用試験の拝読御書「開目抄(かいもくしょう」について、任用試験受験者向けに、要点の解説しています。文末に練習問題があります。
出来れば声を出して何回も拝読してから解説に進むと効果的です。
開目抄 の本文
『我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし(開目抄:御書全集 234ページ7行目から9行目より引用)』
開目抄 の通解
私ならびに私の弟子は、諸難があっても、疑う心がなければ、自然に仏界に至ることが出来るのである。諸天の加護がないからといって疑ってはならない。現世が安穏ではないことを嘆いてはならない。私の弟子に朝夕、このことを教えてきたけれども、疑いを起こして皆、信心を捨ててしまったようである。拙い者の習性として、約束したことを、いざという時には忘れてしまうものである。
開目抄 の要点解説
任用試験に特化した、開目抄のポイント解説です。
背景など
開目抄は、日蓮大聖人こそが、主師親(しゅ・し・しん)の三徳を具えた存在、つまり、末法(まっぽう)の御本仏(ごほんぶつ)であると明かされた「重書(じゅうしょ)」です。
本抄は、大聖人が佐渡流罪中の文永9年(1272年)2月に、四条金吾(しじょうきんご)に託して門下一同に与えられた御書(お手紙)です。
題号にある「開目(かいもく)」とは、「目を開く」ということです。末法の一切衆生を救う日蓮大聖人に「目を開け」という呼びかけとも拝されます。
要点(ポイント)
一生成仏を目指す信心にあって「三障四魔」が競い起こり、「三類の強敵(さんるいのごうてき)」が出現しても、諸天の加護がないことや現世安穏ではないことを疑ったり、嘆いたりしてはならないと教えられています。
「疑う心なくば」とは、大聖人と同じく「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」の「強き信心」を貫いていくことです。そうすれば、いかなる苦難をも勝ち越えていける力強い生命力を涌現させることができるのです。そして、「自然」に成仏の境涯を開いていけると仰せになっています。
「まことの時」すなわち「いざという時」にこそ、師弟の約束を決して忘れることなく、強き信心で立ち向かっていかなくてはなりません。
練習問題
◆ 開目抄は門下一同に与えられたお手紙(御書)ですが、誰に託していますか?
◆ 下記の御文の、①、②、③に入ることばは何ですか?
『我並びに我が弟子・諸難ありとも[ ① ]なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に[ ② ]教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・[ ③ ]はわするるなるべし』
以上。