「御本尊(ごほんぞん)と受持即観心(じゅじそくかんじん)」の項目は青年教学3級試験(初級試験)の出題範囲です。本項目の教材冒頭では、仏法実践の目的と万人成仏の法理について述べられていますが、この記事では、一生成仏と仏界の涌現との関係性について考察をしています。
「御本尊と受持即観心」の項目の冒頭文をわかりやすく展開すると以下のとおりです。
仏法実践の目的は、一生のうちに仏の境涯を築くこと。
仏の境涯とは、自身の外の条件に左右されない絶対的な幸福境涯のこと。
日蓮大聖人は、各人が仏の境涯を築いていくための御本尊を図顕された。
この御本尊を拝することで、自身の胸中の仏界を開き顕して、現実の生活と人生に勝利していく道を確立された。
※ 自身の胸中の仏界を開き顕して、現実の生活と人生に勝利していく道こそ、この一生のうちに仏の境涯を築いていく道である。そのための、「御本尊の意義」と「受持即観心」の法理を学んでいくのが、教材項目・「御本尊と受持即観心」。
ここまでは、試験範囲として把握しておきましょう。
以下は、参考資料としての「御本尊と受持即観心についての考察」です。
御本尊と受持即観心についての考察
大白蓮華 2017年6月号の94ページ、教学入門の「御本尊と受持即観心」の冒頭、次の説明文があります。
仏法実践の目的は、この一生のうちに自身の外の条件に左右されることのない絶対的な幸福境涯である仏の境涯を築くことにあります。
そのために日蓮大聖人は御本尊を図顕され、各人が自身の胸中の仏界を開き顕し、現実の生活と人生に勝利していく道を確立されました。
この説明文から、「一生成仏」と「胸中の仏界を開き顕す事」との関係について考察しました。
冒頭の説明文を要約すると、『仏法実践の目的は、一生のうちに仏の境涯を築くこと。そのために大聖人は御本尊を図顕され、現実の生活と人生に勝利していく道を確立された』、ということになります。
この要約文に、あえて「諸法実相」を配してみると、「現実の生活と人生」が「諸法」であり、一生のうちに築くべき「仏の境涯」が「実相」に該当します。
そして、さらに、要約文からは、『仏の境涯を築くためには、現実の生活と人生に勝利していく道を歩み続ける必要がある』という意味が見て取れます。
目前の現実として今、いかなる境遇、苦境にあろうとも、それらは全て実相の現れです。大聖人がご図顕された御本尊を拝しつつ、厳しい現実と人生に対処するならば、必ずや、これを乗り越え、勝利していけるのです。それは、御本尊を真剣に拝することで、「自身の胸中の仏界を開き顕す」ことができるからにほかなりません。
ここで肝心なことは『勝利していく道を歩み続ける事』です。つまり、「受持(じゅじ)し続ける」ということです。
「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり(御書:四条金吾殿御返事 1,136ページより引用)」とあります。
持ち(たもち)続けることは大変なことですが、どこまでも御本尊根本、唱題根本で、現実の苦難・苦境の壁を破って勝利し続けていくこと。
その連続勝利の姿自体が、「仏の境涯」そのものなのではないでしょうか。