創価学会の記念日と広宣流布の歴史

広布の金字塔「二月闘争」に示された「勝利への方程式」

創価学会の記念日一覧表

この記事では、広宣流布の金字塔である、伝統の「二月闘争」に臨まれた池田名誉会長のご一念(お心)と具体的な実践活動、さらには、二月闘争から学ばねばならぬ点等について述べています。

二月闘争に臨まれたお心(一念)

当時24歳であった若き日の池田名誉会長が、蒲田支部の支部幹事として伝統の「二月闘争」に臨まれた昭和27年(1952年)2月。どのようなお心であったのかについて、次のように語られています。

「昭和27年、蒲田支部の支部幹事となった私は、広宣流布の共戦の同志に訴えた。『この2月、見事な勝利の結果をもって、戸田先生の誕生の月をお祝いしようではありませんか!』。24歳の生命は、真剣の炎、闘争の炎、執念の炎となって、第一線に躍り出た。まず自分が燃えることだ。冷たく黙したままの石でさえ、打ち合えば火花が生じる。いわんや、熱い魂と言葉をもった人間が打ち合うならば、心に火を灯せぬはずは絶対にない」と。

では、具体的には、どのように「二月闘争」に臨まれたのか。

二月闘争における模範の実践

昭和27年当時の創価学会は、支部・地区・班・組という体制が整備されたばかりでした。そのような中、池田名誉会長は、最前線の組織にあたる【組(現在のブロック)】に焦点を当てて、弘教の明確な目標を示されています。

また、この「二月闘争」では、「組」単位での折伏座談会を初めて実施され、名誉会長はその組座談会を徹して回り抜き、一人ひとりを励まされています。

「全部自分のためになるからね」。入会して日の浅いメンバーには「新しい人だからこそ新しい力を持っている」と勇気が湧き出る激励をし、最大限に称賛をしました。

誰よりも最前線で励まし続ける名誉会長の行動は、メンバーにとって最大の励みとなり、一人ひとりの広布に戦う心を燃え上がらせ、「折伏は楽しい」と、多くの友が次々と新たに立ち上がり、この喜びの連鎖が、壁を破る戦いにつながっていきました。

それはまさに、広布の金字塔を打ち立てた模範の実践なのでありました。

二月闘争に学ぶべき「勝利への方程式」

2月闘争における、「戸田先生は折伏の総大将である。弟子が折伏できないわけがない」との池田先生の大確信。栄光の「2月闘争」50周年に際し、秋谷会長(当時)は、二月闘争に示された「勝利への方程式」について、次のようにまとめられています。

第1に、組織は中心者の一念で決まる。その一念とは、広宣流布の一念、師匠への誓願の弟子の一念である。広宣流布は誰がやらなくても自分が実現するとの断固たる決意の心であり、そして祈りである。

第2に、何のための闘争なのかという、戦いの大義名分を明らかに示すことである。先生は、2月闘争の冒頭、「2月は、日蓮大聖人の御生誕の月であり、戸田先生の誕生の月である。だから、自身が功徳を受け、幸福になった御恩に対して折伏で報いていこう、不幸な人を救っていこう」と呼び掛けられた。その大誓願に呼応して皆が総立ちしたのである。

第3は、目標を定め、率先垂範である。「組」2世帯の折伏を!と明確な目標を決めた。まず自らが限界を破り、未聞の挑戦に勇躍歓喜して突入することである。池田先生の闘争には常に「歓喜の大前進」があった。「皆を必ず幸福にするのだ」との先生の信念と情熱の炎に皆、奮い立った。そして明るく朗らかな行進となったのである。そこには上も下も差別はなかった。

第4には団結である。それは、祈りを共にしながら呼吸を合わせゆく異体同心の信心を、見事に結実させていくことである。

第5には、第一線組織を最大に重視することである。当時、組長は、まだ信心弱く力なき存在と思われていた。しかし、先生は、そこに光を当てて激励し、躍動する力を引き出し、皆が自信と責任感をもって総立ちする力を与えられた。一番伸びる力をもっているのは、常に第一線なのである。

伝統の二月闘争(随筆 新人間革命219「わが初陣の故郷・太田」より引用)

わが初陣ーそれは「伝統の二月」の淵源となった一九五二年(昭和二十七年)二月の折伏戦である。

師匠が第二代会長に就任されて約九ヵ月。しかし、広布は遅々として進まなかった。戸田先生は一月末、最高幹部の集まりで、その沈滞気分を破って叫ばれた。「このままでは、とうてい公宣流布はできない。本当の弟子はいないのか!」

私は、先生の命を受けて、蒲田の支部幹事に就任したばかりであった。当時、一支部で、「一ヵ月百世帯の折伏」さえも、なかなかできない状態が続いていた。誰かが、猛然と、その行き詰まりの厚い壁を打ち破り、大驀進の口火を切らねばならなかった。

私は二十四歳。他の幹部はみんな年上だった。しかし、同志は、若い私と心を一つに立ち上がってくださった。なぜか。私が誰よりも真剣であったからだ。たった一人になっても、自分が師の構想を実現すると、誰よりも一生懸命であったからだ。立場や口先や要領で、人が動くはずがない。人を真剣にさせるものは、虚栄も気取りも捨てた、自分の真剣さ以外には絶対にない。

あの時、私が目標として掲げたのは、「組」二世帯の弘教であった。「組」は今でいうブロックである。最前線に勇気を!最前線に自信を!最前線に躍動を!

私は、「組」のリーダーをはじめ、一人ひとりを徹して励まし、さらに、座談会等に出席できない方々もこまめに回った。第一線の同志が総立ちになれば、必ず勝利の活路は開けるからだ。

そして一ヵ月後、怒涛の驀進で戦いきった、わが蒲田支部は、過去最高の「二百一世帯」の弘教を達成した。見事に、厚い厚い壁を被ったのである。後年の三類の強敵との攻防戦を思えば、小さな「一丈の堀」であったかもしれない。だが、この第一のハードルを勇敢に勝ち超えたからこそ、今の創価の栄光がある。

ゆえに、大事を為さんとする者は、断固として、目下の壁を打ち破れ! 討って出て勝利の突破口を開くことだ!「豪胆は歴史にまばゆい輝きを添え、人間の最も偉大なる光となる」(佐藤朔訳)とは、大文豪ユゴーの剛毅な一節である。