発心と抱負・決意

善智識の御書と池田先生の指導(三三蔵祈雨事:仏になる道は 善知識にはすぎず)

善智識(ぜんちしき)とは信心を励まして下さる師匠・同志・広布の組織のことを言います。善智識のことを善友とも言います。

仏法の究極である法華経の元意は『一切衆生が皆、成仏できる道』を説いたところにあります。すなわち『いかなる人も必ず成仏できる』ということなのです。

ところが、これが誠に信じがたいことで、いざ信じて妙法(法華経)の実践に踏み切れば、必ず障魔(三障四魔)が競うのです。この障魔が競った時に強い支えとなる善知識の存在は不可欠のものです。何があっても師匠と共に、同志と共に人間革命・宿命転換の道に邁進することが大切です。

そんな「善智識」について、裏付けとなる御書(三三蔵祈雨事)と池田先生の指導を拝したいと思います。

善智識と御書(三三蔵祈雨事)と池田先生の指導(仏になる道は 善知識にはすぎず)

もし、障魔(三障四魔)が競った時に、善智識を求めることがなければ、結局は法華経を信じ切れなかったわけで、日蓮大聖人は『無間大城に堕つ』と言われています。反対に、どこまでも善智識を求めるならば『間違いなく成仏をとぐ』と言われています。

ここで御書「三三蔵祈雨事(さんさんぞうきうのこと)」を拝しましょう。

 夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよきすけをかひぬれば・たうれず、本より生いて候木なれども根の弱きは・たうれぬ、甲斐無き者なれども・たすくる者強ければたうれず、(中略)

教主釈尊と申す大人にゆきあはせ給いてこそ仏にはならせ給いしか、されば仏になるみちは善知識にはすぎずわが智慧なににかせん、ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり(引用先:御書全集1468ページ)

一切衆生に仏の命が具わると説く法華経の元意には誠に信じがたいものがあります。まずは、「我もいたし 人をも教化候へ」 という日蓮大聖人が仰せの実践を、南無妙法蓮華経のお題目を根本に、挑戦し、揺るがぬ体験を得ることが先決であり重要です。そのためにも善智識は欠かせません。

善智識を求め行く信心の発露は、やがて自らも善智識となって、多くの人を救っていけるのです。日蓮大聖人は、師匠と共に、同志と共に、【水魚の思いを成して】信心修行に励むことこそ『生死一大事の血脈』であるとも言われています。仏法流布・広宣流布の根幹となる心であり姿勢であるということなのです。

以降は、2006年2月14日女子部・婦人部合同協議会での、池田先生の指導です。たがいが最高の「善知識」であると言われています。

 ナイチンゲールの一人の弟子が、看護の現場で、理想と現実のギャップに悩み、くじけそうになったことがある。しかし、彼女はふたたび立ち上がった。真剣に奮闘する先輩の姿に心を打たれたからである。その後輩は、ナイチンゲールに勇んで書きつづっている。
 「(=私は)きっぱり看護婦の仕事をやめてしまう気になっていた矢先に、(=先輩の)プリングルさんの病棟に転勤になったのです。ここでは万事違っていました。私は彼女を自分の、お手本にしました」

 「(=彼女には)うわべだけの奉仕は見られません。プリングルさんには自己本位のところがなく、あるのは周到なまでの良心だけ、この人の病棟には外科医も看護助手も患者も見習い生も、すべての人を彼女が引き上げているという一種のムードがありました。彼女の経験の前には外科医さえ、患者についての助言を求めるほどでした。そこで私も、永久にこの仕事をつづけたい、と思いなおしたのです」

わが女子部の創価姉妹の世界も、うるわしい友情と励ましと触発に満ちあふれでいる。
御聖訓には、「たとえ、ふがいない者であっても、助ける者が強ければ倒れない。少し強い者でも、独りであれば、悪い道では倒れてしまうし」(御書1468㌻、通解)と仰せである。

そして「仏に成る道は、善知識にまさるものはない」(同㌻、通解)と結論されている。

どうか、女子部の皆さん方も、たがいに最高の「善知識」となって、先輩は後輩を慈しみ、後輩は良き先輩に何でも相談しながら、異体同心の理想の前進を進めていっていただきたい。

 ここで、ナイチンゲールの言葉を贈りたい。

「後半生に向かってその土台を築きつつある今こそ、私たちの人生にとってまさにいちばん大切な時なのです」(湯様ます監修『ナイチンゲール著作集』3、編訳者代表・薄井坦子、現代社)

 そして、ナイチンゲールは断言している。

「この世界をも変えることのできるもの、それはあくまで自分が模範を示すことなのです」(同前)

すべてが、自分自身の「人間革命」から始まる。人がどうあれ、周りがどうあれ、自分自身が、生き生きと、伸び伸びと、さわやかに成長していけば、そこから、一切は開けていくのである。

zenchishiki善智識がいかに大切か

当ページの図(善知識がいかに大切か)は以下からダウンロードできます。

Wordファイルダウンロード(A4版)⇒善智識がいかに大切か

善智識に感謝の体験発表

今回、近隣数軒を訪問してハガキメモのお願いが出来ましたが、これは、同志の皆様の励まし無くしてあり得ず、今日は簡単に過去を振り返り、感謝・御礼申し上げる次第です。

小学校2年生の時に母と共に入会した私は、当時の少年部で、頭痛をお題目で克服し体験発表をするなど活動家でした。しかし、故あって、二十歳の頃から10年間、未活動時代に突入。

再び組織に就いたのは29歳の時で、お見合いと同志の励ましがきっかけでした。忘れもしないのは、復帰後最初の活動が、法戦のチラシ配りで、ポストの前で、小さな物音に怯えていました。

その後、●●から●●に転居し39歳で結婚。子供2人も成人となりました。

ところが、7年前、職場で労災事故を起こし頭部から出血。以降、心身のバランスを崩し「三障四魔」にも敗れ、組織の活動から遠ざかっていました。

寝たり起きたりの引きこもり状態でも、地元の同志の方々の有難い激励は続き、ついに今回、7年ぶりに「ハガキメモ」で、外部の人の前に立つことが出来ました。

ここに改めて、創価学会と善智識の皆々様に心より感謝御礼申し上げる次第です。

大変にありがとうございました。(2023年3月16日)