任用試験の教学入門と仏法の研鑽

第二代会長戸田城聖先生出獄記念日(7月3日)とは

大阪事件の日と同じ日の「7月3日」は、第二代会長・戸田城聖先生の出獄記念日です。

信教の自由のため、国家権力と戦った戸田城聖第2代会長(当時は理事長)は、1943年(昭和18年)に、治安維持法および不敬罪の容疑で牧口初代会長と同じ日に逮捕され、拘置されました。

牧口先生が獄中で逝去される中、2年後の昭和20年(1945年)の7月3日に、戸田先生は出獄されました。この日が「第二代会長戸田城聖先生の出獄記念日」です。

7月3日は戸田先生の出獄日であり池田先生の入獄日

出獄後、戸田先生は名前を「城聖(じょうせい)」と変え、また、会の名称も創価教育学会から「創価学会」に改名し、壊滅状態にあった学会の再建に着手。真正の弟子・池田青年(池田大作名誉会長)と共に、生涯の願業であった75万世帯を達成されて尊いご生涯を終えられました。

大阪事件の日とは、昭和32年(1957年)7月3日、当時、青年室長であった池田名誉会長が無実の罪で不当逮捕された日であり、この日と同じ7月3日に戸田先生は出獄をされているのです。

奇しくも7月3日は、戸田先生の出獄と池田先生の入獄が重なる日であり、後年、池田先生は、「出獄と 入獄の日に 師弟あり」と詠まれました。

歴代会長に見る創価学会・師弟不二の原点

牧口先生の一周忌法要の席上における戸田先生の追悼のお言葉は以下のとおりです。

「忘れもしない今年の一月八日、私は取り調べの判事から、突然、『牧口は死んだよ』 と聞かされたのであります。この世に、これほどの悲しみがあろうとは、思いもかけないことでありました。先生は、死して獄門を出られた。不肖の弟子の私は、生きて獄門を出た。私が、何をなさねばならぬかは、それは自明の理であります(抜粋)」

同じく、牧口先生の三回忌法要の席上における戸田先生の追悼のお言葉は以下のとおりです。

「あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れて行ってくださいました。そのおかげで『在在諸仏土・常与師?生』(法華経317P) と、妙法蓮華経の一句を、身をもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味を、かすかながらも身読することができました。なんたる幸せでございましょうか」

また、戸田先生は、大阪事件の折、大阪に向かう池田先生に対して、「死んではならんぞ。大作、もしも、もしも、お前が死ぬようなことになったら、私もすぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」と語られています。

師匠への報恩と弟子への深き慈愛。ここに、創価学会の師弟不二の原点があるのです。