創価学会の記念日と広宣流布の歴史

5月3日「5.3 創価学会の日」とは何か

5月3日の「創価学会の日」とは、昭和26年(1951年)の5月3日に、戸田城聖先生が第二代会長が就任した日であると共に、9年後の昭和35年(1960年)の同じく5月3日に、池田名誉会長が第三代会長に就任した日にあたります。このことに由来する創価学会の日は、以来、「5.3」と呼ばれています。

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5.3 創価学会の日の意義

戸田先生が会長に就任の折りには、「私が生きている間に75万世帯の折伏は私の手でする。もし私のこの願いが、生きている間に達成できなかったならば、私の葬式は出してくださるな。遺骸は品川の沖に投げ捨てていただきたい」と申されました。この戸田会長の誓願を先頭に立って実現されたのが池田先生です。

そして、池田先生が会長に就任の折りには、「若輩ではございますが、本日より、戸田門下生を代表して、化儀の広宣流布を目指し、一歩前進への指揮をとらせていただきます!」との力強い第一声があり、恩師・戸田先生の7回忌までに300万世帯の弘教達成を誓われました。

この第三代会長・池田先生の師子吼に呼応して、創価学会の会員の方々は怒涛の進撃を開始。これによって、今日の創価学会があるのです。

「世界の平和と一切衆生の幸福のために。」、「世界広宣流布大願成就と、創価学会万代の興隆を御祈念申し上げます。」とは、創価学会・勤行要典の観念文です。『世界広宣流布大願成就』こそ、創価学会存在の真髄です。故に、5月3日は「創価学会の日」なのです。

まさに、毎年巡り来る5月3日とは、師弟を貫く「広宣流布」への『出発の日』であり、歴代会長の広布誓願に続く記念日であることを銘記したいと思います。

第三代会長就任に至る池田先生の御心境の一端

池田名誉会長の「若き日の日記」から、戸田先生ご逝去後の一部を掲載致しました。戸田先生亡き後、師匠戸田先生をいかに世界に宣揚しゆくか・・。広宣流布の陣頭指揮に起つという、一大事の宿命を心の深奥より知覚される池田先生。どこまでも、師匠・戸田先生のご構想を断固実現しゆくことに、ご自身の全生命を賭すことに終始されています。

そして、全ては【信心】によって決まるとの深きご自覚。師匠戸田先生の、そして池田先生の、「日蓮仏法における『信行学』の実践」に連なる決意を新たにするのが「5.3 創価学会の日」であることを改めて確認したいと思います。

「若き日の日記:昭和33年11月11日」(戸田先生ご逝去の年)より

先生の獄中当時のことを記録。将来のためにと。
先生のご指導を記録。後輩のためにと。

法難による入獄の模様に、涙あふれてならぬ。権力の天魔、巌窟王の先生を……。

夜、遅くまで本部。
ひとり、先生の指導を整理。瞬時、胸が熱くなる希有(けう)の指導者……いつの日か、世界に宣揚する日。

諸天よ、仏、菩薩よ、われに長寿を、と祈る。恩師の正確なる、広布の記録を書き留(とど)め、永遠に残すまで……。

そのために、健康に留意したい。そのために、更賜寿命であれ。

「若き日の日記:昭和35年4月15日」(第三代会長就任式の前月)より

次期決戦への、陣列の態勢を考える。
恩師の7回忌を目指して、本門の出発だ。

勝利の連続の4年間でありたい。
昭和39年。この年の4月2日と、そして、その年の5月3日の大総会に勝って臨みたい。

戸田会長に、直弟子として育てられたわれが。訓練に訓練をされてきたわれだ。なんで戦いが恐ろしかろう――ご恩を返す時が来たのだ。

日本の歴史、世界の歴史を創りゆく戦いなのだ。人生にあって、男子にとりて、これにすぐる名誉はなかろう。

戸田城聖先生 弟子 池田大作

5月3日、第三代会長就任式決定。
本部内、次第に多忙となる。

一漁師の子、池田大作、遂に広布の陣頭指揮に起つ。一大事の宿命を知覚するのみ。諸天も、三世十方の仏、菩薩も、護れよかし。

仏の所作ということを、今回ほど深刻に考えたることなし。重大なる今世の修行を、胸奥から、恐懼(きょうく)す。

所詮、大御本尊様を、持(たも)ちきることだ。信じ行じることだ。強盛な信心が一切である。この仏法の力によりて、全てが決定されていくのだ。

創価学会の記念日 一覧表

参照:創価学会の記念日 一覧表(各月別・広宣流布の歴史)