信行学(しんぎょうがく) 任用試験の教学入門

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信・行・学は、自分自身の生命の変革を目指す日蓮仏法の「修行の基本」となるものです。

日蓮大聖人は、信行学について『行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候(諸法実相抄・御書全集 1361ページより引用)』と仰せになっています。

信(しん)とは何か

信行学の「信」とは、末法の正法である日蓮大聖人の仏法、とりわけその究極となる御本尊を信じることを言います。このことを「信受(しんじゅ)」とも言い、仏の教えを信じて受け入れることです。これは、仏の境涯に入る為の唯一の道となります。

釈尊の弟子で智慧第一(ちえだいいち))といわれた舎利弗(しゃりほつ)であっても、ただ信受することによってのみ、法華経に説かれた法理を体得することが出来たと説かれています。そして、このことを「以信得入(いしんとくにゅう)」と言います。

行(ぎょう)とは何か

信行学の「行」とは、生命を変革しゆく為の具体的な実践のことをいいます。

この「行」には、「自行(じぎょう)」と「化他(けた)」の両面があって、車の両輪のように、どちらが欠けても修行は完成しません。

自行とは勤行(読経・唱題)のことで、化他とは弘教(ぐきょう)のことをいいます。

勤行(ごんぎょう)については、『深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり(一生成仏抄・御書全集 384ページより引用)』と仰せのように、無明(むみょう)に覆われた生命を磨く唯一の方法が「南無妙法蓮華経」を唱えることであり、これを磨けば必ず、真実の悟りの智慧の明鏡になると仰せです。

弘教とは、自分自身だけが境涯を変革するのではなく、自他共の幸福を目指して、人々に仏法を語っていくことをいいます。

日蓮大聖人は、弘教について次のように仰せです。

「我もいたし人をも教化候へ(中略)力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし(諸法実相抄・御書全集 1,361ページより引用)」また、「かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり(寂日房御書・御書全集 903ページ> より引用)」。

この「化他行」こそが、仏の使いとして仏の行動を実践する最も尊い行為となるのです。

学(がく)とは何か

信行学の「学」とは、教学の研鑽(けんさん)をすることであり、「御書(ごしょ)」を拝読することを根本にして、仏法の正しい法理を学ぶことです。創価学会第二代会長の戸田先生は「信は理を求め、求めたる理は信を深らしむ」と申されていますが、仏法を学び理解していくことは、信心の確信を深めていくのです。

▲任用試験の「信・行・学」は以上を覚えれば合格!▲

信行学についての関連情報

小説『新・人間革命』大道14で、池田先生(山本伸一)は、信行学、なかんずく「行」について、次のように言われています(要約)。

信心の基本は『信行学』であるが、御本尊を信じ、題目を唱え、教学を勉強しているだけでは本当の信心ではない。【広宣流布のための活動】があってこそ、真の信心が完結する。

「この人に立ち上がってもらいたい」と指導に足を運ぶ。知人友人の幸福を願いと弘教に歩く。地域の広宣流布のために対話を重ねる。等々、【利他の実践】に至ってこそ、真実の仏法であり、信心の基本である『信行学』のまことの実践となる。

⇒大道14(利他の実践は唱題と共に)を参照

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