2月闘争とは(二月闘争の意義) 創価学会 2月の広布史

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2月闘争とは、創価学会で「伝統の二月」と称されるに至った、その淵源となる、限界を破る弘教成果を果たした時(2月度)の折伏闘争のことを言い、広宣流布の金字塔となっています。

二月闘争とは

戸田城聖先生が創価学会第二代会長に就任されたのが、1951(昭和26)年の5月3日です。就任式の席上、戸田先生は、ご自身の生涯の願業として「75万世帯の弘教達成」を宣言されました。

ところが、当時の創価学会の会員数は約3,000人に過ぎず、先生の願業を遠い日のことと捉える会員がほとんどで、就任式から就任後9ヶ月後も弘教は遅々として進んでいませんでした。具体的には、当時、最も活力ある支部でも月に100世帯の弘教という状況にあったのです。

そうした中、当時24歳(1952年:昭和27年2月時点)であった若き日の池田名誉会長は、蒲田支部の支部幹事として、蒲田支部の弘教に奔走し、それまでの限界を大きく打ち破る「201世帯」の弘教を達成したのです。この広布史に燦然と輝く闘いこそ、伝統の「二月闘争」と呼ばれるものです。

この一つの壁を打ち破った先駆の戦いは、同志に勇気と確信を与えると共に、全国に波動を広げました。さらに、その後の広布飛翔期を経て75万世帯の願業達成への、なくてはならない闘争であったのです。

二月闘争の意義

二月闘争における池田名誉会長の蒲田支部支部幹事としての戦いは、師・戸田先生を思う熱き心に貫かれていました。そして、その率先垂範の行動に皆を奮い立たせ、これまでにどこの支部もなし得なかった広宣流布の金字塔が打ち立てられました。

この伝統の「二月闘争」を貫くもの、それは、『断じて師の広宣流布の願業の突破口を開く』という池田名誉会長の弟子としての一念であり、「師弟不二」の精神でありました。

24歳の青年にすぎない自分が、どうすれば皆が本気になって総決起してくれるか。この点について、池田名誉会長は次のように語られています。

『それは、全責任を担った、若き私の行動だ。自らの必死の汗だ。そして結果だ。その姿に、同志は喝采を送り、信頼を寄せてくれるのだ。わが姿を見よ!わが戦いをしかと見てくれ!青年らしく、戸田門下生らしく、私は決然と立ち上がった。そして奮起した』と。

この池田名誉会長の「師弟不二」の精神と実践を模範として、会員諸氏が我が信心に奮い立っていく。そこにこそ、二月闘争の意義があると言えるのです。

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二月闘争以後の創価学会の発展

二月闘争の意義はあまりに大きいと言わざる得ません。

二月闘争以後の創価学会の発展・躍進は以下のとおりです。

  • 1951(昭和26)年5月3日:会員数3000人|戸田城聖第二代会長就任式で75万世帯達成を宣言。
  • 1952(昭和27)年2月:★鎌田支部「201世帯」の弘教達成!
  • 1952(昭和27)年:2万世帯を超える。
  • 1954(昭和29)年:10万世帯(同年春)。
  • 1956(昭和31)年:50万世帯(大阪の戦いの年末)。
  • 1957(昭和32)年:75万世帯達成。
  • 1958(昭和33)年4月2日:★戸田城聖第二代会長ご逝去。
  • 1960(昭和35)年5月3日:★池田名誉会長が第三代会長に就任。
  • 1962(昭和37)年11月:300万世帯達成。

創価学会の記念日 一覧表(各月別・広宣流布の歴史)

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