lineの集団いじめでぼっち確定の「いじめ画像」の衝撃的哀れ

いじめの現場の残酷さは、いじめを受ける本人は言うに及ばず、これを目にした第三者の誰もが、リアルな衝撃をうけるものです。

「ぼっち確定」を根底にしたlineやツイッター上でのいじめの状況が、その画面そのものを「いじめ画像」として紹介されることがあります。

ぼっち確定の「ぼっち(ボッチ)」とは、学校などで友人がいないため「一人ぼっち」でいる人のこと。一人ぼっちでランチ(昼食)する「ぼっち飯」や「便所飯」といった具合に揶揄(やゆ)されることがあり、集団生活上の悲惨な状況が確定するという意味・・・。

かつては、いじめ画像というと、いじめの現場の暴行的な写真であったりしましたが、lineやツイッターでのいじめのやりとりの画面の画像は、文字であるにもかかわらず、そのリアルさにおいて、衝撃の度合いが半端ではありません。

言葉の暴力の残酷さを如実に物語っています。


参考サイト
【画像あり】LINEの集団いじめが発狂するほど恐ろしいと話題に!

上記は、「チャットログ」が配信したものが拡散した一端。「架空のLINEいじめ」の再現なのですが、実際はこれと同じようなことが「line」上で行われており、これに警告を発する意味で配信されているとのこと。

いじめは、優位に立つ者が、反発不能な弱者に対して行う「卑劣極まりない」行為です。

集団いじめで「いじめる側にまわる人間」は、いわば「虎の威を借る狐」。ただ、狐のようにずるく賢いわけではなく、仲間に加わらないと「自分も標的にされる」ことを恐怖しているということ。

集団いじめで「いじめる側にまわる人間」は、皆、臆病な弱者であるのです。

『虎の威を借る狐』とは

lineのいじめグループのリア充とキョロ充

line(ライン)ではグループを作り、グループ間でのやりとりでコミュニケーションを図ります。そして、ラインにおいては、このグループ内で「ターゲット」が決められて、いじめ攻撃が行われます。

リアルな世界でのいじめグループによる、グループ以外の人間に対する「いじめ」とは本質的に異なります。

ネット上のグループ内でのいじめなので、仮になんらかの方法でそのいじめを知った第三者が居ても、助け船を出すことができません。

リアルなグループも含め、仲間になる(グループに入る)ということについては、その立場上、「リア充」・「キョロ充」・「リア友」などの用語が用いられます。

リア充とキョロ充とリア友について

「リア充(りあじゅう)」も「キョロ充(きょろじゅう)」も同人用語ないしはネット用語として盛んに使われていて、「ぼっち」と同様に、ある状況の人物についての言葉です。

「リア充」とは、人望?があって自然と周囲に人が集まり、人間関係に不自由しないと思われる人のこと。「キョロ充」とは、いつもキョロキョロして知り合いを探している人のことで、仲間を見つけることをやめるとすぐに一人ぼっちになってしまう人のこと。キョロ充の場合、グループに入れたということは至福のことで、仲間はずれにされないことが努力の対象となっていきます。

ちなみに「リア友(りあとも)」という言葉もあり、これは「友達」のこと。

line(ライン)のいじめ画像に見るいじめの構図

ライン上にグループがあるとして、そのグループには、その時々に中心者と目される人物が存在します。その中心者はその時点で「リア充」ということになり、その他は大なり小なり「キョロ充」的な立場にあると言えましょう。

そして、グループ内のキョロ充の一人に対して、「リア充」がうざいと感じて「攻撃のことば」を発信するところから、そのグループはいじめグループと化します。「リア充」が攻撃する相手に対して、その他の「キョロ充」は同調せざる得ないので、本心とは違っても「攻撃のことば」を表明して『保身を図る』ことになります。

「ぼっち確定」を救ってやってるのに「うざすぎる」という盛んな攻撃で、時に本人から、「死ぬ」という返事を引き出そうとさえします。

「ぼっち確定」を中心に、「リア充」による傲慢(慢心)ないじめ発言と「キョロ充」の必死な保身によって、line上のいじめは構成されるのです。

与えられた優位な環境における一人の「傲慢」とその他周辺の「あわれな立場」の人たちによって成り立っているのが、ライン上のいじめに他なりません。

ちなみに、社内いじめやパワハラも、優位な立場の者が劣勢の弱者を攻撃することによって成り立っており、その本質に違いはありません。

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