line(ライン)のいじめ画像に見る病的な仲間意識

私の経験した「職場いじめ」はパワハラの恐怖そのものでした。食べていくために逃げるに逃げられぬ職場でのいじめ。今思えばもっと早く退職の決意を固めるべきだったと思います。

身も心もボロボロになってからの再起には時間がかかり過ぎました。

時間をかけて自身を見つめるうちに、再起の曙光が兆し、自身の中にエネルギーを感じられるまでになりました。そして、そのエネルギーが当サイトを立ち上げさせ、そのコンテンツとなるいじめ体験の告白や克服への思いを綴らせたのだと思っています。

社内のクーデター後に、特命を帯びた何人もの上司から、責められ・脅されしたシーンの数々。それは何年たっても昨日のことのように、自身が苛められているのを傍から見ている、あるいは、苛められている渦中に目に映った周囲の風景が、「いじめ画像」として、心の中でフラッシュバックをくり返しました。

lineのいじめ画像に見る病的な仲間

ネット時代のいじめはlineなどのSNS上で、完全孤立の状況に追い込まれるという、新種の逃れがたい「いじめ」として横行しています。しかし、私の受けたパワハラという名の「職場いじめ」には、少ないながらも、「仲間の方々」の存在がありました。line上のいじめ等は、仲間の喪失と完全な孤立を意味します。それは、この世の「居場所」を全否定されるものであり、まさに「地獄」であると、つくずく思います。

いじめ画像といえば、かつては、嫌がらせや暴力を受けるシーンの「画像」をいいました。しかし、昨今の「いじめ画像」は、line上のいじめのやり取りの「画面画像」であって、そこにはいじめる方と苛められる方の心象風景が如実に垣間見られ、時代の病理を覗くような思いです。

先に、「今思えばもっと早く退職の決意を固めるべきだった」と申しました。

「今、思えば」、リストラ狙いのパワハラを行使する側は、『私の会社内での居場所のみ』を否定していたのであって、「この世から去れ」と言っていたわけではありません(しかし、当時の実感にはそれに等しい重みがありましたが・・・)。

どのような形であれ、「本来の『仲間』と認識する存在からの拒絶』には、「絶対的」なものがあります。

line上でボッチ確定などとする「仲間」の存在には、その成立の段階から病的なものがあったのだと、断定せざる得ない。それが、筆者の強い思いです。

⇒記事: ぼっち確定 lineやツイッターのいじめ画像のリアルな衝撃 へのリンク

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