9月度座談会御書 持妙法華問答抄の講義

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2017年(平成29年)9月度の座談会御書は持妙法華問答抄(じみょうほっけもんどうしょう)です。

持妙法華問答抄の拝読範囲の結論として、自行化他にわたる実践こそ「今生人界の思出」と仰せです。つまり、「人間としてこの世に生まれて来た最高の思い出になる」との意味です。広布に生き抜く人生こそ「自行化他にわたる実践」そのものであることを確認しましょう。

持妙法華問答抄の背景など

「持妙法華問答抄」の題号は、「妙法華(妙法蓮華経)」を「持つ(たもつ)」ことこそ、一切衆生の成仏の道であることを5つの「問答形式」で教えられた御書です。問答を通して妙法への「信」が大切さを確認されています。

弘長3年(1263年)の伊豆流罪赦免直後に著された等の伝承がありますが、御執筆年、宛先も共に定かではありません。

今回拝読する範囲は本抄の結びの部分です。

持妙法華問答抄 拝読範囲の御文

「寂光の都ならずは何くも皆苦なるべし本覚の栖を離れて何事か楽みなるべき、願くは『現世安穏・後生善処』の妙法を持つのみこそ只今生の名聞・後世の弄引なるべけれ須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき(御書全集:467ページ16行目から18行目)」

持妙法華問答抄 拝読範囲の通解

久遠の仏の住む永遠の仏国土でないのであれば、それがどこであろうと皆、苦しみの世界にちがいない。生命本来の覚りの境地を離れて、何が楽しみとなるだろうか。願わくは「現世は安らかであり、来世には良いところに生まれる」と仰せの妙法を持つこと、それのみが、この一生の真の名誉であり、来世の導きとなるのである。是非とも全精魂を傾けて、南無妙法蓮華経と自身も唱え、他の人にも勧めるが良い。それこそが、人間として生まれてきたこの一生の思い出となるのである。

9月度座談会御書 持妙法華問答抄の講義 まとめ

拝読御文の「南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧ん」とは自行化他の実践にほかならず、それがいかに大切かを強調されています。

今回の拝読御文を簡潔に意訳すると以下のようになるでしょう。自行化他の実践を強調されています。

「悪世末法にあって、仏界を開く縁から離れては何ごともままならない。妙法を持つ(たもつ)ことのみが三世永遠にわたる真の道である。故に、自行化他にわたる妙法流布の実践こそが人生最大の思い出となるのである」

以降、御文にそって、順に進めていきます。まずは、「寂光の都」・「本覚の栖」について見ていきましょう。

「娑婆即寂光(しゃばそくじゃっこう)」の法理

久遠の仏の住む清浄な国土を「寂光の都」といい、久遠の仏の覚りの境地を「本覚の栖」といいます。そして法華経迹門では、この覚りの境地があらゆる生命に、本来、具わっていると説かれます。さらに、法華経本門に至り、久遠の仏は、どこか別の場所に仏国土を求めるのではなく、この娑婆世界の中に出現して教えを説き続けることが明かされます。

つまり、苦悩に満ちた現実世界を「寂光土(じゃっこうど)」変革しゆく、「娑婆即寂光(しゃばそくじゃっこう)」の法理が示されています。

御義口伝では、「此を去って彼に行くには非ざるなり(中略)今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり(御書781ページ)」と仰せです。

「現世安穏・後生善処(げんぜあんのん・ごしょうぜんしょ)」について

「現世安穏・後生善処」とは法華経薬草喩品第5の文で、通解のとおり、「現世は安らかであり、来世には良いところに生まれる」という意味になります。しかし、大聖人の仏法における「安穏」とは、生活、人生の上で波風が立たない平穏なことをいうのではありません。

一生成仏を目指す仏道修行の過程で競い起こる三障四魔、三類の強敵を乗り越えて、確固たる自身を築く中にあります。人生の波風を悠々と乗り切る境涯を開いていくのです。

日蓮大聖人は、以下のように仰せです。

「法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし現世安穏・後生善処とは是なり(御書1143ページ)」
「所詮法華経を弘むるを以て現世安穏・後生善処と申すなり(御書825ページ)」

妙法を持ち広布の実践を貫く中で、永遠にわたる安穏の境涯が確立されるのです。

自行化他(じぎょうけた)について

日蓮大聖人は、「須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」述べられ、「我も唱へ他をも勧んのみこそ」と強調されています。

「南無妙法蓮華経と自身も唱え他の人にも勧めるがよい」と、「自行化他」の実践の大切さを示されています。

「自行」とは、自分自身が妙法の利益を得るための修行で、勤行(読経・唱題)のことで、「化他」とは、周囲の人に正しい信心を勧める折伏・弘教(広宣流布の学会活動)のことです。

この自行化他にわたる実践こそ、私たち自身の生命に大聖人と同じ智慧と力を涌現するための実践です。

大聖人の仏の生命が顕された「南無妙法蓮華経の御本尊」を信心根本に拝することで、大聖人と同じ仏の境涯をわが身に開くことができるのです。

大聖人は「末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり(御書1022ページ)」と仰せです。

持妙法華問答抄 池田先生の指導

今回の拝読御文に関する池田先生の指導を以下に掲載します。

日蓮大聖人は、「須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」(御書467ページ)と仰せになっている。自行化他の信心に励み、人びとの幸せを願い、仏法を教え、友を励ましていく。それこそが、今生人界の思い出となると言われているのだ。

人間として生まれ、正法に巡り合えたからこそ、広宣流布の大偉業に連なり、人びとに仏法を語って、地涌の菩薩の使命を果たしゆくことができる。そう自覚するならば、学会活動に参加できることに、無上の喜びを感じざるを得まい。

そして、どれだけの人に法を説き、発心を促し、人材を育てていくか――そこに人生の最高の充実があり、それは、そのまま永遠不滅の光を放つ生命の財宝となるのだ。

(以上、2016年2月27日付、小説『新・人間革命』常楽48より)

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