8月度座談会御書 法華初心成仏抄の講義

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2017年8月度の座談会拝読御書は「法華初心成仏抄(ほっけしょしんじょうぶつしょう)」です。御書全集557ページの「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて」から「我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ」の範囲となっています。

この記事では、8月度の座談会で法華初心成仏抄の要点を講義できるようにまとめています。

法華初心成仏抄の背景と大意

本抄は建治3年(1277年)、日蓮大聖人が御歳56歳の時の執筆とされています。宛先の詳細は不明ですが、本抄の内容から、念仏を唱えていた女性門下、あるいは、未だ念仏に未練のある女性に対して、信仰の基本をご教授されたお手紙と推察されます。

本抄後半で、末法の初心の行者が妙法によってのみ成仏できる明かされていることが題号の由来で、「初心」とは、初めて発心して仏道を志すことです。

法華初心成仏抄の全文は、御書全集544ページから557ページまでの全14ページにわたり、「悪世末法では南無妙法蓮華経のみが成仏の根本法」、「強盛に弘教に励むべきこと」、「三類の強敵が必ず競うが恐れてはいけない」等々、明快な裏づけの下で縷々(るる)ご指導されています。

そして、法華初心成仏抄の今回の拝読範囲は結びの部分であり、「唱題行によって己心の仏性が呼ばれて現れる」ことを示されたところとなります。

法華初心成仏抄

法華初心成仏抄 拝読範囲の本文と通解

本文

「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、譬えば籠の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば籠の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ(御書:557ページ6行目から9行目より)」

通解

わが己心の妙法蓮華経を本尊と尊崇して、わが己心の中の仏性が、南無妙法蓮華経と呼び呼ばれて顕れるところを、仏とは言うのである。
譬えば、籠の中の鳥が鳴けば、空を飛ぶ鳥が呼ばれて集まるようなものである。空飛ぶ鳥が集まれば、籠の中の鳥も出ようとするようなものである。口に妙法を呼び奉れば、わが身の仏性も呼ばれて必ず顕れるのである。

法華初心成仏抄 拝読範囲の講義

拝読御文の流れに沿って、講義風にまとめています。

我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて

冒頭、「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて」と仰せです。これによって、我が己心の仏性を呼び覚ましなさいと仰せなのです。

私たちが御本尊を拝し唱題していくのは、あくまでも、わが胸中の本尊である「己心の妙法蓮華経」を涌現させていくためである、ということが重要です。

世間一般のご利益を願って祈っていく行為、あるいは、法華経以前の教え(爾前経:にぜんきょう)での祈りでは、人間離れした超越的な仏に救いを求めてすがっていこうとします。しかし、それでは「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ」ていくことにはなりません。

「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり(御書:日女御前御返事1,244ページ)」と仰せです。

では、「己心の妙法蓮華経」を涌現させていくにはどうしたら良いのでしょう。

いうまでもなく、創価学会の信心は、日蓮大聖人を根本の師として尊敬することから始まります。

根本の師として尊敬するとはどういうことか。

それは、民衆救済を願って妙法弘通に生き抜かれた大聖人の不惜身命の信心を学び、受け継いでいこうという信心に立つことです。

この信心に立って、御本尊に唱題することが「御本尊を正しくあがめ敬う」ことであり、その時に、「己心の妙法蓮華経」を涌現させていくことが出来るのです。

我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う

次に、「我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり」。つまり『わが己心の中の仏性が、南無妙法蓮華経と呼び呼ばれて顕れるところを、仏とは言うのである』、ということの説明を、これに続く「籠の中の鳥」の譬えで示されています。

「譬えば籠の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば籠の中の鳥も出でんとするが如し」

「籠の中の鳥」が鳴けば、「空とぶ鳥」が呼ばれて集まります。
ここで、「籠(かご)」とは、私たち衆生を束縛する、無明(根本的な生命の迷い)や、煩悩・苦悩を意味しています。
「空とぶ鳥」が集まれば、「籠の中の鳥」も出ようとします。

私たち自身の仏性が「籠の中の鳥」です。そして、籠の中の鳥の鳴き声こそ、南無妙法法蓮偈経の音声です。

「籠の中の鳥」に呼ばれて集まる「空とぶ鳥」とは、全ての衆生の仏性です。
「空とぶ鳥」が集まると「籠の中の鳥」も籠から出ようとするのです。

題目を唱える自身の音声は、自分自身の仏性だけでなく、あらゆる衆生の仏性も呼び覚ますのです。

そして、「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ」と明確に結ばれています。

池田先生は次のように言われています。

『「よびよばれて」の呼ぶとは、御本尊への唱題です。南無妙法蓮華経は自身の仏性の名です。したがって呼ばれるのは、己心の仏性です。つまり、唱題によって自ら己心の仏性を呼び現すのです。さらに、皆の仏性も呼び現していけるのです(「大白蓮華2017年5月号」の「世界を照らす太陽の仏法」より引用)』

今般、青年教学3級試験(初級試験)が9月に実施されますが、その試験範囲、教学入門の法華経の研鑽項目に「諸法実相(しょほうじっそう)」という法理があります。諸法とは、現実世界のありとあらゆる出来事や現象です。実相とは、宇宙究極の心理、つまり、妙法蓮華経のことです。全ての存在は、究極において、妙法として平等であるということです。

次の池田先生のご指導はこのことを彷彿とさせます。

『南無妙法蓮華経の題目による真剣な祈りは、大宇宙に遍満する妙法と共鳴し、自身の生命を包み込んで、今度は自身の無明を打ち破る力を涌現させます。いわば、唱題行は、大宇宙と自身との大交流のドラマともいえます。「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ」――「必ず」と御断言です。題目を唱えれば、「必ず」妙法の無限の功力を我が身に開き現していくことができます。強盛な信心によって、その広大無辺の功力を、もっともっと味わっていけるのです(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第8巻より引用)』

「我が己心中の仏性」を明かされた日蓮大聖人直結の信心に立ち、強盛な祈りで自他共の仏性を呼び覚まして参りましょう。「唱題の人が勝利者」との確信で。

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