経王殿御返事 |3月度座談会御書の講義

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3月度(2017年)の座談会御書講義では「経王殿御返事(きょうおうどのごへんじ)」を学びます。今回の拝読範囲(御書1,124ページ10行目から13行目)では、「勇気ある信心」こそが、広宣流布と人生の勝利を開いていける原動力である、ということを学びます。

経王殿御返事の拝読御文

但し御信心によるべし、つるぎなんども・すすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼に・かなぼうたるべし、日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし(御書1,124ページ10行目から13行目より)

拝読御文の通解

ただし、(諸天の加護が深いといっても、それは)あなた方の信心によるのである。剣なども、進まない人のためには何の役にも立たない。法華経(御本尊)の剣は、信心の強い人が用いてこそ、役に立つのである。まさに鬼に金棒である。

この御本尊は日蓮の魂を墨に染めながして書き認(したた)めたものである。信じていきなさい。釈尊の本意は法華経であることをいうまでもない。日蓮の魂(たましい)は南無妙法蓮華経以外のなにものでもないのである。

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経王殿御返事の背景と大意

本抄は、文永10年(1273年)8月に、日蓮大聖人が流罪地の佐渡の一谷(いちのさわ)で認められて、鎌倉の地で難を忍ぶ門下に送られたお手紙です。経王御前(門下の子供)が病気になった折に、経王御前の親が平癒(へいゆ)の祈念を大聖人にお願いしており、そのことへの御返事となっています。この門下については、四条金吾であると伝えられてきましたが、その根拠・詳細は定かではありません。

故に日蓮大聖人は本抄の冒頭において、経王御前の病の回復を昼夜にわたり祈念している旨、真心からの励ましの言葉を送られています。

そして、大聖人はこの門下に対し、御本尊は大聖人御自身が全生命を注いで御図顕されたものであると述べられています。さらには、この御本尊を強く信じ切り、祈り抜いていくのであれば、必ずや諸天善神に護られて福運に満ち満ちた幸福な境涯を確立していけることは間違いないと教えられています。今、この時こそ、強盛な信心に励むよう促されているのです。

勇気ある信心こそが宿命の鉄鎖を断ち切る

日蓮仏法は現実を変革しゆく宗教です。何かにおすがりして「願いを叶えていただく」というものではありません。自主自立した一信仰者として、自身の胸中に生命に本来具わる無限の力を湧き出しながら、人生を最高に有意義に楽しみ切っていく信仰です。現実を変革する主体者は私たち一人一人であることを銘記すべきなのです。

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本抄において大聖人は、御本尊の偉大なる力用を引き出すのは、御本尊を受持する人の「信心」にこそあるということを教えられています。

このことを大聖人は「法華経(御本尊)の剣は、信心の強い人が用いてこそ役に立つ」と、「剣(つるぎ)」の譬え(たとえ)を示してご指南されています。

「法華経(御本尊)の剣」は、ありとあらゆる障魔を打ち破ることが出来る利剣であり、過去遠遠劫(かこおんのんごう)の「宿命の鉄鎖」を断ち切って、最高至極の幸福境涯を勝ち開いていける宝剣です。このことに間違いはなくとも、その法華経の剣を用いる人に力がなければ、剣は役には立ちません。

御文にお示しの『すすまざる人』とは「信心の実践の上で臆病な人」、そもそも「不信のある人」のことを指しています。これに対して『信心のけなげなる人』とは、「信心の上で勇気ある人」のことです。日蓮仏法の信仰には、「勇気が不可欠」であると仰せなのです。

よく、「祈りとして叶わざるなし」と言われる偉大な御本尊です。しかし、その御本尊の力用を開き顕していくためには、どうしても勇気ある信心の実践が不可欠なのです。

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仏力・法力は信力・行力による 「四力」とは

「仏法の真髄は慈悲であるが、凡夫においては、勇気をもって仏法を実践していくことが慈悲に通じる。仏は『慈悲』で、凡夫は『勇気』で人を救っていくのだ」、とは、戸田第2代会長のお言葉です。勇気とは何でしょう。

勇気がなければ、友人に声をかけて仏法対話をしていくこともできません。

勇気がなければ、自分が創価学会員だと周囲に宣言することはできません。

学会理解の輪を広げよう、仏法を弘めるのだ、といっても、臆病であっては何もできないことに思いを致すべきです。

何ごとも「お題目で祈りから出発」と言われます。御本尊に祈り、勇気を奮い起こして、対話拡大に打って出る。学会活動に勇んで取り組んでいく。この自行化他にわたる「行動」こそが行躯即信心、すなわち信心の血脈が通うことであり、ここに、御本尊の偉大な力用は顕現していくのです。

仏法では、以上のことを「四力(しりき)」という法門で具体的に説明しています。その四力とは「信力(しんりき)」「行力(ぎょうりき)」「仏力(ぶつりき)」「法力(ほうりき)」の4つです。

御本尊に本来具わっている広大無辺(こうだいむへん)の「仏力・法力」は、これを実践する信仰者の「信力・行力」の強さに従って現実の上に顕れるということなのです。

いかにも強き「信力・行力」の人が法華経の剣を用いてこそ、「鬼に・かなぼうたるべし」であり、無敵であることを銘記しましょう。

  1. 信力とは:御本尊を信ずる力
  2. 行力とは:南無妙法蓮華経の題目を唱えて、これを弘めていく実践
  3. 仏力とは:仏が一切衆生の救済を願う慈悲の力
  4. 法力とは:妙法にそなわる無限の力
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御本尊は仏の大慈悲が脈動する法華弘通の旗印

日蓮大聖人は、「この御本尊は日蓮の魂を墨に染めながして書き認めたものである。信じていきなさい」と仰せになっています。そして、竜の口の斬首の法難に次ぎ、佐渡流罪という、まさに命に及ぶ大難の渦中にありながら、全人類の成仏の道を開く「法華弘通のはたじるし」として御本尊を認められたと仰せです。

「法華弘通のはたじるし」とは、日蓮大聖人が御本尊を「広宣流布のための御本尊」として、顕わして下さったということです。

※注:「旗じるし」とは、国家や種々の団体が標章とするもので、目的達成のために、自らの存在を外に示し、内部の団結や士気を鼓舞するために掲げるものです。つまり、団体の理念であり、生命(いのち)であって、最重要な要(かなめ)と言えるものです。

つまり、大聖人の御本尊には、いかなる苦難をも乗り越え切って全民衆を断じて幸福にするのだとの、仏の大慈悲が脈動していると言えます。

そして、「日蓮の魂は南無妙法蓮華経以外のなにものでもない」と仰せです。御本尊はまさに、末法の御本仏・日蓮大聖人のご生命そのものであって、宇宙根源の法である「南無妙法蓮華経」を顕し、末法の全民衆を救う法として確立されたものであるということです。

それ故に道理として、御本尊に向かって題目を唱えるならば、大聖人と同じ仏の大生命力を胸中に涌現することが出来、最高の智慧と福徳を自身の上に現していくことができるのです。

御本尊への強き祈りを根本に、広宣流布の活動に、自身の生活に、断固勝利して参りましょう。経王殿御返事を研鑽した今こそ、「師子王の心」を取り出して、誠実と納得の仏法対話をもって、創価の連帯を大きく広げて参りましょう。

関連する池田名誉会長のご指導

「妙法は『生活』と『社会』と『宇宙』の根本のリズムです。観念ではない。道理である」「真剣な祈りから出発する。そして、これ以上ないという努力を重ね、死力を尽くす。これが『信心即生活』の生き方です。そこに、諸天も動くのです」と。

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広宣流布は権力の魔性「第六天の魔王」との闘争

広宣流布の活動、それはまさに、「仏と魔との闘争」と言えます。

生命の奥底には、生命の根源的な迷いである「元品の無明(がんぽんのむみょう)」と、根源的な悟りとなる「元品の法性(がんぽんのほっしょう)」が存在します。そしてこの2つが激烈なせめぎ合いをしているというのが生命の実相であるといえます。

日蓮大聖人は「元品の無明」について、「元品の無明は第六天の魔王(だいろくてんのまおう)と顕われたり」(御書997ページ)と仰せになっています。「第六天の魔王」は「他化自在天(たけじざいてん)」とも言って「他の生命を支配すること」に無上の喜びを覚える生命です。現実社会にあっては、「権力の魔性」こそ、その究極と言えましょう。

この仏の眼が喝破した生命の実像からして、広宣流布を推進せんとする仏法者にとっては、「権力の魔性」との戦いは避けて通れぬ現実であるということが言えます。

「立正安国論」をもって国主諫暁された日蓮大聖人は、以降、迫害に次ぐ迫害の御生涯であり、初代牧口先生、第二代戸田先生も戦時中には軍部政府の弾圧に遭って投獄されていらっしゃいます。そして、第三代池田先生もまた、昭和32(1957)年7月3日、選挙違反という無実の罪で逮捕されました。「大阪事件」です。

「負けたらあかん!」の師匠との誓いを胸に

「大阪事件」は、創価学会という民衆勢力の台頭を恐れた国家権力による迫害でした。大阪拘置所を出所した池田先生は大阪大会(7月17日)に出席し、権力の魔性に屈せず、「正しい信心が最後は必ず勝つ」と師子吼されました。その師子吼に関西の友は「戦いは絶対に勝たなあかん。負けたらあかん!」と、固く固く誓ったのであります。

そしてその4年半後に、「無罪」判決によって池田先生の正義が明確に示されたのです。改めて今こそ、師の心をわが心として堂々と正義を語りきって参りましょう。

参考になる動画:経王殿御返事

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